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「もういいです……。服のところカットしますね……」
「ごめんごめん。おかしくてさ……」
文乃は笑いで呼吸困難になりかけている。
社長が他の社員の前で新人を笑うのはパワハラだ。文乃は何とか持ち直して言う。
「ルカはできるだけちゃんと書きたいんだよね?」
「それはそうですけど……」
「じゃあ、今回は注釈を入れさせてもらおう。ルカの言う通り、歴史認識を曲げてしまうのもまた問題なんだ。歴史を取り扱う以上、我々には正しく伝える義務がある。無責任に変なことを書いちゃいけないね。だから、どういう時代背景があって諸葛亮がそんなことをしたのかちゃんと解説しよう」
「それでいいんですか……?」
なんだかごく当たり前の解決方に思えてしまう。
それができるなら、さっさと言ってほしい。こうして感情揺さぶられる羽目になったのはなんだったんだろう。
「できるかは分からない。原稿の文字数には制限があるから、クライアントがヨシと言ってくれなければ、最初から全部やり直しになる」
「そっか。注意書きを入れたら、他のこと書けなくなっちゃいますよね……」
「そういうこと。文字数原稿がないものでも、文章が長ければそれだけ読んでくれなくなるから、伝えたいことを絞って、できる限り短い文章にするんだ。それがプロの仕事だね」
伝えたいことを絞る。もちろんそれは考えていた。たくさんあるエピソードをすべて紹介するわけにはいかないから、面白いものや特徴的なものをピックアップしている。でも、それが伝えたいことだったかは疑問である。
諸葛亮の人柄を表現するのに、そのエピソードは“必須”だったのか? ただ面白がって入れただけではないのか?
ここでも自分の子供っぽさを恥じずにはいられない。
「とりあえず、注釈書いといて。あとはこっちでやっとく」
「いろいろすみません……」
「いいんだよ。今日仕事初めたばっかじゃん。気にしない気にしない」
「はい……」
ルカはとぼとぼと自分の席に戻る。
注釈を書こうとしてキーボードを触るが、モニターがゆがんで見えなかった。涙が溢れてきてにじむ。もう少しでこぼれそうだ。
(私……何も知らないんだ……。何もできないんだ……)
親に反抗して家出をした。自分のことは自分でできるし、自分のやりたいことをしたいと思った。そしてこの船に住み込みで働くことになったが、何もできていなかった。親が言うように、自分は保護されるべき子供でしかなかった。
「ナイスガッツ!」
そう言ってビアンギがコーヒーをルカの机に置いた。
「あっ……」
仕事に失敗して涙を流しそうになっているのを隠そうとするが、どうしようもない。
「自分の書きたいことを曲げないのも、ライターの仕事。仕事っていうか、プライドかな?」
「えっ」
「仕事してるとクライアントの意向で、思い通りにならないこといっぱいあるけど、無理してでも自分の考えを通そうとする意識は大事。クライアントの言いなりに書くだけなら、AIでいいじゃない。でも、ルカにはちゃんとした意志がある」
ルカの目から涙がこぼれ、ビアンギの細い指がそのあとをなぞった。
いつの間にかビアンギは机の上に、ルカの正面に割り込むような位置にいる。美形のビアンギにそんなことをされるとドキッとしてしまう。
「ビアンギさん……」
「頑張れ、新人!」
ビアンギは軽く手を振って、作業室から出て行った。
「ルカ、もう一個直して。『雌雄を決する』ってやめない? 雄と雌、どっちが優れてるかって危ないかも」
作業室に文乃の声が響いた。
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