プロローグ

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 しかし、汗水たらしながら苦労してスーツケースを引っ張っている少女にとって、それは好ましい事態でもあった。  彼女はまさにトラブルの渦中にあったからである。  家出。少女はスーツケース一つを持って、親や家族に黙って家を出てきてしまったのだ。  ここで警察に通報されては家に連れ戻されるかもしれないから、あまり気にされても困る。見て見ぬふりをしてくれて助かっている。 「はあ、はあ……。疲れたし、お腹も減った……。タクシー乗ろうかな……」  財布に現金はわずかだったが、クレジットカードが入っていて、それを使えば問題なくタクシーに乗れるし、レストランで料理も食べられる。  しかしそれは、親に居場所を知らせることになってしまうため、できる限り使いたくなかった。 「ダメだダメだ……。また甘えてる……。自分の力で生きていこうと決めたのに、いざとなったら親のカードに頼ろうとしてるんだから……」  親からの独立。彼女の家出の目的は、人に頼らず生きていくことであった。  彼女は財布からクレジットカードを取り出し、渾身の力を込めてへし折った。  ぱきっと小気味よい音が鳴り、不思議と勇気が湧いてくる。 「これでよし!」  決意はしたものの、すぐに後悔したくなる。  目の前には階段。壊れたスーツケースを担いで登らないといけない。  ここはインドの南にあるモルディブ。熱帯気候の島国で、年間通して30度前後の気温である。外で活動していると暑くて、すぐに汗だくになってしまう。階段を登る前から、体に熱がこもる感じがする。  彼女がモルディブに来たのには理由があった。  軌道エレベーターの地球港があり、すぐに宇宙に出られる場所であったからである。  もともと海が綺麗なリゾート地だったが、軌道エレベーターができてからは、宇宙に行く観光客が大勢やってくるようになった。人工島に作られたホテルには、国民の10倍の人数を収容できる。  軌道エレベーターとは、地上と宇宙にある人工衛星をつないだ、巨大なエレベーターである。人工衛星の宇宙港には、様々な惑星行きのシャトルが停泊していて、銀河の至るところに旅立つことができる。  毎回地上からシャトルを飛ばし大気圏から宇宙空間に出るたび、大量の燃料を消費するのはもったいない、ならば宇宙につながるエレベーターを作ろう、という考えから生まれた。建築や維持に莫大な費用がかかるが、一日に何度も人や物資を大量に運搬できるメリットはあまりにも大きかった。  利用客にしても、シャトルに比べて破格と言えるほど安く、気軽に宇宙に上がることができるようになった。完成した当初は地球港と宇宙港を往復するチケットがよく売れたものである。 「まずはお金をなんとかしないと……」  親に見つからないように宇宙を目指してやってきたわけだが、何か当てがわけではなかった。行き先も今日泊まる場所も決まっていない。 「仕事だ。生きるために仕事を見つけなきゃ!」  自分の力で決めたのだから、仕事をして自分のお金で生きていかねばいけない。仕事を見つける、稼いだお金で家賃を払う。これが当面の目標だった。
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