プロローグ

1/7
13人が本棚に入れています
本棚に追加
/13ページ

プロローグ

 少女がスーツケースをガラガラと音を立てながら引いている。  ロボットやAIが普及したこのご時世、人間が大きな荷物を持っているのは非常に珍しく、町を歩く人々は彼女の姿に自然と注目してしまう。  少女も、好きで重いスーツケースを引っ張っているわけではない。バッテリーが切れてスーツケースが自律駆動しなくなったのだ。動かなくなってしまっては、バッテリーやモーターはただ余計なウェイトである。  故障したのか、車輪がスムーズに回転してくれず、少し転がすのにも苦労してしまう。  苦労して引っ張っている様子を見れば、「手伝おうか?」と誰かが声をかけそうなものだが、誰もかけなかったのには理由があった。  彼女の髪がざんばらで、服も泥で汚れていたからだ。  髪はきちんとカットされておらず、あちこち不揃いになっていて不格好になっている。しかし、顔立ちはよく、髪は艶のある黒髪で、上品さ、高貴さを持ち合わせていて、どこかアンバランスさがあり、非常に不自然だった。  髪は自分でカットしたものだった。散髪用ではない普通のハサミで、鏡を見ずにざくざくと切ったのである。美容師が見たら卒倒してしまうだろう。  服が汚れているのは、重いスーツケースを引っ張り歩いているうちに、何度も転んだせいだった。明らかに上等な服なのに、それに似つかわしくない泥やすり切れがあって、これもまた違和感を醸し出している。 「なんかトラブルに巻き込まれたのか?」 「襲われたんじゃないよな……?」 「警察に通報したほうがいいんじゃないの?」  彼女が小柄で子供っぽく見えるのも手伝い、町行く人々は遠巻きに見てそう言った。  しかし、彼らが声をかけなかったのはそれだけではなかった。  「観光客に対して、みだりに声をかけることを禁ずる」という法律があったからである。  これは、観光客をだまして高額商品やサービスを買わせるトラブルが多発したから制定された法律であった。もともとは、不慣れな観光客に優しく手助けをするが、あとになって高額請求するという悪質な事件が問題になり、観光客を保護する目的で制定された。 「自分でなんとかしてくれるといいんだけど……」 「巻き込まれたくないからなあ……」  もちろん善意で観光客を助ける人も大勢いる。だが、詐欺まがいだと疑われて、罰せられた者が次々に現れてしまった。助けようとして罰せられるのでは割に合わないと、誰も観光客が困っていても声をかけなくなったのである。  かつては、善きサマリア人の法、という言葉があった。善意で助けようとした場合、失敗しても責任を問わない、という考えである。たとえば、重病人を救護したが死亡してしまった事例。救護にあたった人は、人命を大切にしたいという思いで助けようとしたのだから、その素晴らしい心意気に免じて罪に問わないことにするのだ。だがこの法律によって、この言葉が死に絶えてしまった。  今では、「触らぬ神に祟りなし」が一般的である。不幸や恨みがあって亡くなった人や動物は祟り神になることあるが、可哀想だからといって手を出すと、逆に自分が不幸になってしまうのだ。  実際に、観光客を助けたほうも被害を受けるケースがあった。よくある荷物紛失事件で一緒になって探していたはずが、窃盗のグルなのではないか、と訴えられてしまった。囮で話しかける側と盗む側に分かれて窃盗に及ぶ事件も多いので、被害者は疑心暗鬼になってしまったのである。  様々な人種、民族、言語、宗教などが入り交じった町では特に、面倒事に関わってはいけないと、銀河中の暗黙ルールになろうとしていた。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!