涙を海に還す真珠のハンカチ

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涙を海に還す真珠のハンカチ

***  翌朝目覚めると、「おっはようございまーす」と挨拶しながら見下ろしてくる人の顔があった。ぎゃっと叫んで飛び起き、壁際に逃げ込んで急いで眼鏡をかける。 「開口一番が『ぎゃっ』ですかぁ? ちょっとテンション下がります、こちとらいつもはまだ寝てる時間で元気ないっつーのに……こほん。えー……」 「……」 「まあ、優しくしてください……」  と、取り繕う余裕もないのか。  昨晩たっぷり月の光を浴びた紫の髪はつやつやしているし、変わらず健康そうに見えるが、確かに昨日までの覇気がない。 「つ、疲れているのか? マリーナ、昨日は本当にありがとう。俺はもちろん、エヴァとルーもすごく楽しそうだった」  ううっ、とマリーナが嗚咽を漏らし、俺がいるベッドに伏して、おーいおいおいと泣き始める。そして「か、カラスの羽根しか~」と声を上げた。  見れば、マリーナのとんがり帽子には、濡れたように艷やかなカラスの羽が星型のピンで留められている。昨晩までは、こんな飾りはついていなかったはずだ。 「素敵じゃないか! いいぞ、マリーナ。すごい、とてもいい。本当だ、嘘は言ってない」 「や、優しく、ひっく、してくれて、ありがとうございます。でもこれ、残念賞というか、あと一歩で賞みたいなやつなんです。合格したら、透き通る月と星の光で織り上げた、それはそれは美しい証書が届くんですよ~。  わたくし、魔女アカデミー開校以来の才媛を目指し、日々努力して参りましたので、できれば一発で単位取得したかったのですが……」 「そうか、マリーナは優秀なんだな。ほかの単位は一発で」 「いえ、だいたい先生に泣きついて追加レポートを提出したりしていますが。でも、夢は大きく、志は高く持ったほうがよいと思いますので」  それはそうかもしれないが、なんだか釈然としない。顔を洗いに洗面所に行く俺のあとをついてきながら、マリーナが続ける。 「でも、カラスの羽根がもらえたってことは、魔法力はもうお墨付きってことなんです。あとは、なんとか今夜中に『幸せにする』を達成するだけ!」  水を止めるのも忘れて、濡れた顔を上げる。申し訳なさそうにしているマリーナと、鏡の中で目が合った。 「じゃあエヴァは、まだ」 「そうです、アマーリさん。残念ながら、エヴァさんの問題は未解決です」  どうしたら、エヴァの悲しい顔を見ずに済むのだろう。どうしたらずっと笑顔でいてくれるのだろう。  エヴァの涙を見ると、俺の胸は掻きむしられるように痛くなってしまうのだ。  今夜はハロウィンで、マリーナの試験のリミットも今日までだ。エヴァを幸せにするチャンスを棒に振ってはならない。俺はエヴァにどうなってほしいのか、マリーナにより深く話をすることにした。 「ふむふむ、まとめますと。アマーリさんはエヴァさんの泣き顔を見ると、胸が痛くなってしまう。ずっと笑っていてほしい。エヴァさんの幸せが、アマーリさんの幸せ……ということでございますね~~!」  さっきまでの泣きっ面もしゅんと肩を丸める仕草もどこ吹く風、マリーナは周囲に鼻歌の音符を撒き散らす勢いでご機嫌になってしまった。 「や……やめろ! わざわざ繰り返すな!」 「あらあら、おほほ。でもこれ、かなり重要な情報でしてよ。単に笑顔にするのではなく、もう泣かなくていいようにしてさしあげる! ここがポイントですね。これで100単位くらいがっぽりいただきですわ~!」  だんだんマリーナの性格がわかるようになってきて、「もらえる単位は最初から決まってるだろう」と突っ込む俺の目の前に、柔らかなミルク色の布がひらりと現れた。  それは鳥の羽根のように両手の中に降り立ち、まるで呼吸をするみたいに、ふわっと光った。 「海の女神の涙である、真珠のエッセンスを練り込んだ魔法のハンカチですわ。エヴァさんが泣き始めたら、こちらで拭ってあげてください。  そうしたら、エヴァさんの涙はたちまち消え、代わりに海の水がほんの少し増える、ということになります。エヴァさんの幸せとわたくしの単位のためにファイトですよ、アマーリさん!」  ありがたい。これでもう、エヴァは泣かずに済むのだ。俺は喜色満面の笑みでマリーナにお礼を言った。  この日、俺は休み時間に昨晩の大冒険を振り返るのを楽しみにしていたが、エヴァもルーも「すっごく楽しい夢を見た気がするんだけど、あんまり思い出せないな~」と首をひねっていた。 「ルーは何も思い出せない? 僕は確か空を飛ぶ夢だったような……とっても気持ちがよかったから、あの感じを思い出すと自然に笑顔になっちゃうよ。きっと、これからも思い返してにやにやしちゃうな」  俺は思わず、心の中で感謝の祈りを捧げた。覚えていなくても、昨晩のことがちゃんとエヴァのこれからの笑顔のピースになってくれているのだ。  自分の手柄ではないが、純粋にうれしかった。
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