お日様と星屑のブランケット

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お日様と星屑のブランケット

 マリーナには悪いが、真珠のハンカチを使う機会は訪れないかもしれない。そう思っていた昼休みのことだった。  ルーは拾い集めたドングリを「ダルトンに見せてくる!」とスタッフの執務室に駆けていき、残された俺とエヴァは、遊び疲れて木陰でうつらうつらしていた。  思いきり走って遊び回ったあとだったから、ひんやりする風も気持ちがよかった。でも、俺の微睡(まどろ)みはエヴァのつぶやきに遮られた。  あまりにはっきり聞き取れたものだから、反射的にエヴァのほうを見てしまう。  アデル。エヴァはそう呼んだ。エヴァも自身の寝言に驚いたのか、飛び起きて口もとを押さえている。  それから「アマーリ、僕」と言いかけると、頬に一筋光らせた。  今だ。俺はすぐにジャケットの内ポケットから、ハンカチを取り出した。  エヴァの涙を拭いながら言う。 「エヴァ、これでもう大丈夫だ。泣かなくて済むんだ、永遠に」  はしばみ色の瞳が大きく見開かれ、俺を映してゆらゆら揺れる。しかし、その光が再びこぼれることはなかった。  マリーナの魔法はすごい、今度こそ成功だ。そう確信したが、次に俺が見たのは失望に歪むエヴァの顔だった。 「エヴァ……? どうした?」  エヴァが憮然(ぶぜん)として、首を横に振る。 「なんでもない、平気だよ」 「嘘だ、平気ならそんな顔をするわけがない」  腕の中に顔を埋めていたエヴァが、とうとう瞳を覗かせて俺を見た。ひどく傷ついた人の表情に胸を打たれる。 「僕が泣くのは、君の前でだけだった。ルーは甘えん坊で不安がりだし、僕がしっかりしなきゃって思ってて。クラス代表だから、がんばらなくちゃって。でもアマーリ、君とふたりきりのときなら——」  悔しそうに、悲しそうに、もどかしそうに、エヴァは言うが、もうひと粒の涙さえ流すことはない。  目に見えないつかえをどうにか取り去ろうと、しきりに胸をさする姿は、泣き顔なんかよりもずっとずっと痛くて哀しい。  取り返しのつかないことをしたという後悔が、真っ黒な大波になって押し寄せた。  エヴァと築いてきた友情も、信頼も、何もかもが遠くへ押し流されていく。必要なのは、涙を奪う魔法なんかではなかった。  ただ隣にいて、一緒に悲しみを味わって、ふたりで泣けばよかった。エヴァは俺をこんなに信じてくれていたのに、俺が心を分かち合う余地を奪ってしまったのだ。  震える膝でなんとか立ち上がった。からからの喉から声を絞り出す。 「待っててくれ、エヴァ。涙を、涙を取り返してくる」  アマーリ? という声を振りきり、全速力で2階の自分の部屋を目指す。今までの体力テストなんか、目じゃないほどがむしゃらに走った。  俺の部屋に光のハンモックを設置し、うたた寝していたらしいマリーナが「むにゃっ」と言って起き上がる。 「マリーナ、頼みがある!!」  ぜえぜえと気管を鳴らす俺に彼女はすっかり青ざめ、ごくりと喉を鳴らした。 ***  息せき切って戻ってきた俺を、エヴァはぽかんとして迎えた。無理もない。  でも、説明している暇もないから、抱えてきたブランケットをばっと広げる。なんの変哲もなく見える、ジムナーズの支給品と同じベージュのそれを、エヴァが戸惑いながら見つめる。 「マリーナに魔法をかけてもらったんだ! エヴァ、すまなかった」 「マリーナ? 誰のこと?」  なんでもない、と言ってエヴァの正面に座り、ふたりの頭の上からブランケットをかぶせた。  誰の目にも触れない空間にふたりきりになると、俺は今更のように緊張した。エヴァを不安にさせないように言う。 「このブランケットには魔法がかかっている。心を温めて癒やす、優しい星屑(ほしくず)の魔法だ。こうしていればほかの誰にも見えないから、今はエヴァ、お前の好きに泣いていいんだ」  じわじわと潤んでいくヘーゼルの瞳から、透明な光が溢れ出す。それを見て、ああ、本当に星屑だと思った。  マリーナにこのブランケットにかかっている魔法の(もと)を聞くと、「え、え~と? 確か、星屑……? だったような~」と言っていたので半信半疑だった。  でも、今ならわかる。エヴァの瞳から生まれゆくのは、正真正銘の星のつぶてだ。  泣きじゃくりながらエヴァが言う。 「アマーリって、すごくあったかい。まるでお日様の隣にいるみたいだ」  ハグをしていいかと、聞きたかった。でも、聞けない。  ジムナーズに来て初めて迎える春に、アーモンドの花びらをまといながら眠るエヴァを見て、不思議な安らぎを覚えた。安心しきった寝顔にこちらまでほっとして、この人の上にもう冬が来ませんようにと祈った。  やがて時が経ち、だんだんと恋心を自覚するようになった。  俺の信じる(あの方)には許されない想いだ。何度も断ち切ろうとしたけど、それでも無理だった。 「ねえ、ハグしていい?」  俺よりも少し背の低いエヴァは、上目遣いに聞く。この目に弱くて、いつも頼まれごとを断れない。  これは友情だから、と念じながら「うん」と答える。  柔らかな頬にめいっぱいの笑顔を浮かべたエヴァが、ぎゅっと抱きついてくる。俺は目を閉じて祈った。  偉大なる方よ、この聡明なる友人・エヴァをありったけの恩寵で祝福してください。  この人がたくさん笑って、たくさん泣いて、どんなに傷ついても、必ず最後には幸せでいられるよう守ってください。たとえそのとき、彼の隣にいるのが俺じゃなくたってかまいません。  たくさんの温かな涙が、優しい温もりとなって彼に注がれますように——。  涙に濡れた熱い頬がくっつく感触を、俺は一生忘れない。
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