映る影、変わる時

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 薫子は思わず男性客の方をちらりと見ると、彼も私と同じように困惑している。 「注文したのフルーツセットだけですけど……」 「はい。ですが働きながら転職活動は疲れるでしょう。不採用続きならなおのこと」 「え、あの、どうして転職しようとしてるって知ってるんです。不採用続きなのも」 「一か月ほど平日の日中にスーツでお越しです。自己紹介を繰り返し練習し数日すると悲しそうな顔をなさっている。夜は使い込んだ書類をお持ちで、一昨日は『課長にどやされる』と呟いてらした。それで今のお勤め先から転職をお考えなのだろうと」 「……そうです。よく見てるんですね」 「何度も来て下さっていますから」  青年は何の飾りもされていないミルフィーユを差し出した。何層にも重ねられた生地が見えるが、それだけだ。他の美しいケーキには見劣りがする。 「人生は岐路の積み重ねです。まるでミルフィーユのようじゃありませんか?」  青年は穏やかにほほ笑みながら、生クリームを添えカットした林檎を添え、蜜柑、葡萄と果物をどんどん乗せていく。  少しずつだがショーケースに並ぶ宝石のようなケーキに近づいている。 「あと一層で完成するかもしれません。その先には新しい出会いがあるでしょう」  重ねられていく果物はいつの間にか美しい花と葉のようになっていた。色とりどりのそれは見たこともない形で、それは男性客の新たな出会いを予感させた。  そして最後に丸いクッキーを生クリームの横に沿えた。  表面には美しいデコレーションがされていて、時計のような柄だった。チョコレートと金粉だろうか。離れたこの場所からでも艶やかで美しいことが見て取れる。 (転職と新たな出会いは私でも手にできるのかしら。そのミルフィーユがぽんと差し出されたように)  薫子の目はミルフィーユに釘付けになった。  あれほど貧相だったミルフィーユは青年の手により宝石へと姿を変えている。 「転職が決まったらお祝いのケーキを作らせて下さい。いつもの珈琲を飲み放題で」 「……はい。有難うございます」  そうして男性客は少しだけ涙ぐむと、生クリームたっぷりのミルフィーユと果物をあっという間に食べきって、最後は穏やかな笑顔で店を出て行った。  青年は男性が笑顔で帰って行くのを見送ると、ようやく私の元にやってきた。
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