映る影、変わる時

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「あの! さっきのお客さんにミルフィーユ出してましたよね。いつもあんな風になさってるんですか?」 「ええ。うちのお菓子はお客様の物語なんんです。このミルフィーユは以前同じようにお仕事で悩んでいた方の物語。その経験が誰かを助けることもあるでしょう」 「じゃあこっちはどんな物語なんですか? 真っ白なクリームに白い花と紫の花」 「ストレスで寝付きが悪くて困ってる女学生の物語です。よく眠れるようにリラックス効果のあるカモミールとラベンダーを使いました。女性には特に人気です」 「あのチョコレートケーキは?」 「和菓子好きのおばあちゃんが洋菓子好きなお孫さんの受験を応援する物語です。ご自分では何が良いか思いつかないとのことでお任せいただきました」 「へえ……素敵、とっても素敵……」  夢の国にしか無いような美しいケーキなのに、語られる物語は誰もが想像付くような日常ばかりだ。  凄まじい落差だけど不思議と違和感はない。 「たくさん歩いてお疲れのようですし、チョコレートケーキなさいますか?」 「……いいえ。ミルフィーユを下さい。私もその物語の力を借りたい」 「おや。転職をするのですか?」 「いえ。うちは駄菓子屋なんですけど、近くにミスミさんができて経営が厳しくて。それで新商品の情報収集に来たんです。東京なら目新しい物があるかなと思って」 「西洋菓子では駄目なんですか? ミスミさんには無い西洋菓子もあるでしょう」 「新しければ良いわけじゃありません。お父さんが扱いたいと思ったならともかく、ミスミさんに対抗するためなんて看板を捨てるのと同じことだわ」 「失礼しました。そうですね。うちも先々代から同じメニューでやっています」 「ずっとですか? でも西洋菓子ですよね。最近の物だと思うんですけど」 「うちはお客様に必要なお菓子を作るだけで、どの文化発祥かは気にしていません。これは祖母が考えたお菓子で、西洋ではミルフィーユという名称だっただけ。もっとも、材料や仕上げの形状は西洋のミルフィーユに寄せましたが」  青年はショーケースをするりと撫でた。  ケーキには当然一つずつ名称が付いているが、その説明文はとても長い。  カウンター席からは見えないが、お客様の物語が綴られているのかもしれない。  青年はミルフィーユを取り出し薫子の前に置くと先ほどの男性客と同じようにフルーツを盛り付けていく。質素なミルフィーユに魔法がかかる。 「うちは洋菓子店ではありません。彩菓茶房です」  青年は穏やかに微笑むと小鉢に生クリームをたっぷりと入れて出してくれた。 「激励です。ごゆっくりどうぞ」
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