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 関ヶ原の戦いから二十五年が経過した寛永二年、後に回向院が建立される隅田川東岸、本所深川の界隈には見渡す限りの湿地帯が広がっていた。  季節は晩秋、十月の初旬である。  色あせた葦の原を寒風が吹き抜け、揺れる穂の乾いた音に混じって、木刀を振う男の荒い息遣いが聞こえた。    齢四十六にして岩の如く逞しき体躯を保つ、この巨漢の名は園部多門。    元は近江の土豪・井草家に使え、槍足軽の物頭として関ヶ原にも参陣した剛の者であり、繰り返す素振りの冴えに些かの衰えも感じられないが、   「未練じゃ」  口の奥でそう呟き、何を思ったか、木刀をいきなり湿地の奥へ投げ捨てた。  拳を握る横顔に苦渋の影が過るものの、辺りに軒を並べた掘立小屋の一つへ向う面持ちは清々しく、最早迷いは感じられない。  戸を開くと、温めた味噌汁の湯気と香りが漂ってきた。    粗末な小屋だが、江戸へ来てから五年余りの年月を過ごし、折々で手を入れている分、それなりに造りはしっかりしている。    竈もちゃんと備わっており、その前で多門の妻が朝餉の支度をしていた。   「こら、さき……無理をするな。もう少し寝ておれ」 「ご心配なく。今朝は体の具合がとても良いのです」  気遣う夫へ向き直り、さきは朗らかな笑みを浮かべた。   「前に申し上げました通り、私が幼き頃、叔母も同じ病を患い、養生のこつを見聞しております故」  生来の丸顔は心持ち青白くこけているものの、まだ三十路の妻は若々しく、重い病魔を宿している様には見えない。    確かに今朝の具合は良いらしく、カタバミという野草だけが具の、粗末な味噌汁へ美味そうに口をつける。    膳の傍らには黄色い五弁の花が活けられていた。   「これはカタバミの花じゃな」 「昨日、お仕事の帰りに旦那様が取ってきて下さった野草があまりに可憐で、捨てるのが不憫になりました」 「小さいが良い色じゃ」 「はい。眺める内、心根が明るくなる様でございましょう」  多門は肯いたが、そう告げるさきの笑顔の方が、浪々の辛苦に耐える夫の心を如何に温め、照らしてくれたか知れない。  夫婦になった時、多門は数え年で二十二、さきはまだ十四に過ぎない。仕えていた井草家が豊臣方へ加担した咎により取り潰される前であった。    磨いた武芸の腕前で仕官口などすぐ見つかると自惚れていたのに、故郷で七年、京で十余年、更に各地を流離い、江戸へ腰を据える今日まで、とんと成果は上がらない。  そもそも戦国の世はとうに過ぎ、武芸など無用の長物と化しているのだ。仕官の道は夢のまた夢。なのに文句一つ言わずついてくる上、実に気が利く、よくできた妻だと思う。  一月前、体調を崩して発熱し、近在に住む医師の診断を仰いだ際にも、さきはあくまで気丈だった。   「胸に性質の悪いしこりができております。未だ初期と存ずるが、不治の病にて、しこりは大きゅうなる一方。精々安静に致す他、手の施し様がございませぬ」  そう告げられ、尚、取り乱さずに余命の幾ばくかを問うた妻の横顔を、多門は今も忘れられない。   「年を召した御方なら、しこりの育ちは遅うなる。五年、十年と生きながらえる事もございましょうが、生憎と御身はお若い」 「病の進みも早いのですね」 「左様、遠からず……おそらく二年と経たぬ内に」 「先生、もう少し、はっきり申して頂けませんか」  愕然として言葉もない多門の傍らに座し、即座に問うさきに気圧されて、医師はたじろいだかに見えた。 「どうぞ、お教え下さい。私が、武士の妻として務めを果たせるのは、はたして残り幾年月か」  明確な答えは返ってこない。    病の有り様は人其々だから、確かな見込みを立てる術など無いと医師は言う。    だが、さきはさきなりに、己の答えを掴んだらしい。    医師が帰途についてから、床を立って多門の正面に正座し、まなじりを据えて言い放った。   「旦那様、私の目の黒い内、後添いを見つけて頂きます」 「今は重々養生せねばならぬに……何故、そのような事を言い出す」 「私には時がございませぬ」 「されどのう、さき。医者が申せし通り、人それぞれの病なら、案外、養生次第でお前は長らえるやも」 「私は心配なのです」 「己の命の他、今更、何を案ずるか」 「あなた様は武芸の道には長じていても、五十路に近い今尚、世事に疎く、煩わしゅう感じた事を遠ざける癖をお持ちです」 「俺の耳が痛うなる話を、随分とはっきり申すのう」 「では、私がいなくなったら、身の回りをどうなさいます。炊事や洗い物の一つも、あなた様は満足にできぬではありませんか」  一気にまくしたてるさきの語勢は、日頃の温厚な物腰と別人の如き勢いだ。これ程の激しい心根を、妻がその内に秘めていたのは意外だった。  尤も、芯の強さを隠し持つが故、長い浪々の日々に耐えられたのかもしれない。   「いずれ、あなた様がご仕官の本懐を遂げられた後、果たして御一人で生きていけるものか。武士として恥ずかしくない身だしなみを誰がお世話申し上げるのか。考え出すと、私、死んでも死にきれない心境なのでございます」 「ならば、仮に俺の後添いが見つかったとして、お前はどうするのだ」 「離縁して頂きます」 「何を馬鹿な」 「いえ、あなた様の行く末に安堵できましたら、心残りはありません」 「理不尽じゃ。お前はそれで良いとしても、この俺の心残りは如何する」 「だから、お願い申し上げているのです。私のたっての望みは病み衰えていく姿では無く健やかなさきをのみ、あなた様の胸に留め置く事なのです」  深く思いつめた瞳で見つめられ、これ以上の口論は無益と多門は思った。  是非も無い。  元々、事の道理を捉え、未だ定かならぬ成行きを先の先まで見定める機転の速さこそ、妻の得難き取り柄の一つである。  しかし、多門が内心「先読みのさき」と呼ぶ段取りの良さは、この時、少々先走りの域に達した。    家計を助ける為、さきは長らく裁縫の内職をしていたのだが、その中で得た知己に片っ端から声を掛け、多門の後添い候補を探し始めたのだ。    勢い込んであちこち訪ね、体調を崩してしばらく寝込んだ挙句、持ち直すと又、動きだす。その上、家事まで一人でこなそうとするから、心配した多門が「いい加減にせい」と一喝、夫婦仲に暗雲が漂った事もある。    しかし、そこまでしても後添いの当ては見つからなかった。    多門からすると当然の話だ。    男に比べ女の数が極度に少ない江戸の町で、職も無く、老境へ迫りつつある浪人者に誰が嫁ぎたがるものか。    当てがあると思うは、夫への贔屓目、いや贔屓の引き倒しと言うべきであろう。    初めて後添えの件を妻が言い出した時、本心で納得できぬまま多門が口論を避けたのは、その辺を見透かしたが故である。    賢いさきの盲点が少々微笑ましくもあったが、空回りした末、漸く料簡違いに気づいてくれた様だ。    多門の先行きについて語る事や知己への訪問をさきは控える様になった。    きつく張り詰めた表情が緩み、近頃は体調の良い日に限り、夫婦の団欒を楽しむ余裕さえ生じている。
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