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フローザ.クロゥズ
日記を書くことにしました。異邦の言葉でありながら、なじみのある日本語で。日記といっても、思いついたことをつらつら書きとめるだけになりそうですが。
異世界の少女"高橋花衣"と、毎週金曜日に入れ替わるようになったのは、おそらく3才の時からでしょう。正直なところあまり覚えていません。それが正しければもう12年間、私は花衣と入れ替わりながら生活しているということになります。
魔法も貴族も存在しない世界、花衣の生きる地球の日本が、そういう世界だと気づくまで随分時間がかかりました。初めて入れ替わった時のことはあまり覚えていませんが、最初の頃は見慣れぬ景色と、違和感のある体が、とても恐ろしく、泣き叫んでいた気がします。花衣の母親である夏美さんは、突然泣き叫ぶ娘にひどく手を焼いたそうです。
夏美さんは、花衣から「しらないおやしきにいた」と聞き、さらに、金曜日に娘が泣き叫ぶ言葉が、日本語ではないことに気づいて、私とコミュニケーションを取ろうと決めたそうです。子供の頃アメリカに住んでいた夏美さん曰く、私の母語であるサンライズ語は、英語によく似ているそうです。フランスなまりの英語みたい、と言っていました。夏美さんは「大学生になったら、第二外国語でフランス語取ってみたら?花衣と相談して」と言ってましたけど、正直、また全く知らない言語を学ぶなんてゴメンです。
3才くらいの頃、入れ替わりにも少し慣れて、パニックをおこさなくなった頃、夏美さんは英語で話しかけてくれました。「May I have your name?」と。少しずつ、あの世界について教えてもらいました。名前のこと、家族のこと、身分制度のこと、日本語のこと。私は花衣が通う保育園に行きませんでした。花衣の父親は離れた場所にいるので、夏美さんの両親、つまり花衣の祖父母にお世話になりました。花子さんと義之さんは、英語によく似た言葉を話す、おかしな孫娘に、日本語を丁ねいに教えてくれました。おかげで、花衣が小学校に入る頃には、日本語での日常会話は難なくできるようになりました。漢字の読み書きは多少苦労しましたが。
入れ替わりにも慣れてきた頃、私たちは週に一度の交換日記をするようになりました。交換といっても、実際はお互いがそれぞれ一冊ずつ持っていて、金曜日に相手のノートに書きこむ、というだけですが。他の人に内容を知られないように、私の日記には日本語で、花衣の日記にはサンライズ語で、毎日何があったのか書いて共有するのです。それまでは夏美さんに伝言をお願いしていたのですが、夏美さんに内緒の話をしないといけなくなり、交換日記を始めました。それは、お互いの家族のこと。
「フローザちゃんのおかあさんが、わたしのことをきらってるみたい」5才くらいの頃に、花衣が私のネグリジェのポケットにかくしたメモ書きが、私たちの交換日記のきっかけでした。貴族の娘は乳母が育てることが普通です。日本の母親のようにつきっきりで世話をやくことはありません。ですが、日本に住む花衣には、母親が自分をさけているように感じたらしいです。実際お母様は、最近まであまり私の方を見てくださらなかったので、花衣の感じたことは、全くの的外れでもなかったのですが。
金曜日、花衣は狭い小屋に閉じ込められていたらしいです。悪魔がついていると思われて。ユーロお兄様は、金曜日の妹が別人だと勘付いて、監禁小屋にこっそりもぐりこんで、夏美さんたちのように、サンライズ語や、王国のことを花衣に教えてくださったそうです。どうして気づいたのでしょう。気にはなりましたが、お兄様が私のことをわかってくれたのがうれしくて、聞きそびれてしまいました。
ユーロお兄様から詳しい事情を聞いて、私は次の金曜日に、返事を書きました。「わたしのからだにいるときは、わたしのフリをしてください」と。ユーロお兄様の協力もあって、7才になる頃には、ある程度はとりつくろえるようにはなったそうです。楽なことでは決してなかったはずなのに。改めて、子どもの順応って恐ろしいです。
花衣は、私に自分のフリをしてほしいとは頼みませんでした。そんな必要はなかったから。夏美さんを含めた花衣の周りの大人は、私を、フローザ.クロゥズを受け入れてくれました。
しかし本当は、花衣が2人いることについて、夏美さんはどう結論づけようか迷っていたみたいです。夏美さんの部屋には、心の病についての本がたくさん積まれているのを、私は先月見つけました。人は幼い時に強い心的外傷を受けると、人格が分裂してしまうことがあるらしいです。夏美さんが旦那さんと離婚して、花衣と2人で暮らすようになったのが、ちょうど私たちが入れ替わるようになる数ヶ月前だったせいで、余計心配させてしまったのかもしれません。
でも、もし本当に心の病なら、私は花衣から生まれた人格ということになります。そもそも、サンライズ王国の出来事全てが花衣の見る夢だということになります。では、私がこれまで生きてきた13年間は、今まさに自室でペンを走らせている私はなんなのでしょう。全て幻? バカバカしい。現実味がなさすぎます。
入れ替わりの原因はおそらく、魂が関係しています。私が得意な魔法と、花衣が私の体にいる時に使う魔法が、明確に異なっていますから。魂そのものが、夏美さんたちにとって現実味のない話だということはよくわかっていますが、花衣の心の病が原因と考えるよりは、よっぽど現実的なのです。
………ということを、私は先月花衣の日記に書きこみました。それを読んだ花衣は、夏美さんと話をしたそうです。そして、その次の週、花衣は私に頼みました。「サンライズ王国でのフローザの人生を、できるだけ詳細にお母さんに話してほしい。私の頭が考えつくようなおとぎ話じゃない、現実なんだって証明して」と。
そんなこんなで、夏美さんの長年の悩みは、割と解消できたようです。魂云々は証明のしようがないので、明確になったわけではありませんが。
魂が、違うはずだから、
私と、花衣は、別人です。
全く別の、他人です。
最初の頃、記憶の共有はありませんでした。
花衣が小学校に上がったあたりから、少しずつ、入れ替わっている間の記憶が土曜の朝起きた時に、思い浮かぶようになりました。
はじめは、本当におぼろげな記憶。
まるで、夢のように、いつのまにか消えてしまう。
覚えていた方が便利だから、起きてすぐに、花衣が書いた日記を確認するようになりました。
長いこと入れ替わりを続けていき、今では、入れ替わっている間に起きたことは、ほとんど思い出せるようになりました。
でよ、それはあくまで花衣の記憶です。体は私でも、花衣の記憶です。まるでビデオを見ているかのような記憶。その時、花衣が何を考えたか、何を思ったかまではわかりません。花衣の行動から推測するしかない。
認識のそごがあると困るから、私たちはまだ、交換日記を続けています。
もし、心の中までも、体験として共有したら、どうなってしまうのでしょう。
なんだか胸さわぎがする。
この日記は、花衣に知られるわけにはいきません。
私たちは、仲良しでないといけないから。
生きるために。
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