家庭環境

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家庭環境

a4eade9f-e440-418b-9126-2b9310ce99ee 自分の意志で引きこもって暮らしていた訳ではないものの… ペトロネラ・ローゼンハイムとして生きた15年間の生活は立派に引きこもりだと言える。 実感した事はないものの 実は世間知らずなのかも知れないと思う。 (少なくともこの世界の貴族社会に関しては) 私の姉達…。 長女のヒルデガルトと次女のゲルトルートは年子。 私よりも八つ歳上のヒルデガルトと七つ歳上のゲルトルート。 二人とも国立学園卒業後すぐに婚約、半年後に結婚している。 嫁にやるのではなく婿をもらいたかったのが両親の本音だったのだろうが、婿を取ろうにも継がせる爵位も財産も無いので、婿の来手もなかった。 父が賜った準男爵位は一代限りの爵位。 世襲できないのだ。 なので両親も娘達の結婚に関しては妥協せざるを得ず、二人を羽振りの良い商家へと嫁に出したのである。 とは言え二人とも嫁ぎ先のカネを懐に入れて実家にカネを貢いでくれるという訳でもない。 「子育てという次世代への投資は無駄になる事が多い」 という人間社会の真実を、両親は二人の娘を嫁に出して悟ったのだろう…。 ゲルトルートが嫁に行ったのは私が11歳の時。 残りの子供は私だけになった。 その時ーー 私は内心で期待していた。 (これからは両親は私に関心を持って良くしてくれるようになるのかも知れない…)と。 虫の良い期待だったと 今では判る。 でも当時は子供だった。 人間、子供時分にはどうしても 「他の人達に当たり前のように与えられたものが自分にも与えられるべきだ」 と思ってしまいがちだ。 前世でもそうだったし 今世でもそうだった。 「他の人達に当たり前のように与えられたものでも自分には与えられない事もある」 という不条理に納得できないのだ。 子供は子供であるが故に。 だからこそ私は自分には与えられないという不条理に腹を立てた。 元々両親は私に対して関心も好意も薄かった。 両親は長女と次女に金をかけて育てただけで人生の余力を全て使い切ったかのような余裕のない人達だった。 上の二人が嫁に行って家から出て行った事で両親の中では 「やりきった」感 「燃え尽きた」感 が出来上がっていたのかも知れない。 精神的にも経済的にも余裕がないのに、せっせと切り詰めながら体面を取り繕う事ができるのは若さゆえだ。 若さと初めての子育てという気概ゆえだ。 それらが二人の娘を育てて嫁に出した事で両親の中では枯渇していた。 子供達の年齢差が大きく子育て期間が長期にわたると 親という生き物は途中で気力切れを起こす事もある。 私は何も知らずに両親に対してアレコレ求めた。 愛情も 教育も 身を飾るドレスや装飾品も。 姉達が与えられていたのと同じだけ求めた。 私は家族の精神状態や経済状態に何も気付かずにいた。 「姉達に与えられたものと同じだけのものが私にも与えられるべきだ」 と激しく思い込んでいたので 「期待とは大きく違った環境」 に対して度々癇癪を起こした。 見苦しく 浅ましかった…。 だが、大事な事なので何度でも言うが 私は当時は子供だった…。 私は何も知らずに、求め 拒絶され、疎まれ、退けられた…。 両親から徹底的に疎まれる事になってしまった。 私が両親から露骨に疎まれて使用人達からもぞんざいに扱われ出したのには 両親が私が生まれる少し前に 「卑怯な裏切りを犯して準男爵位を得ていた」 ような事も勿論、あの人達の人格の歪みに大きな影響を与えているとも思うのだが… それらの社会的事情をも含む「諸々のタイミングの悪さ」が私と両親との折り合いの悪さの原因としてあったと思う。 私は生きられる程度の衣食住は与えられてきたが 準男爵家の娘らしい生活は何一つとして与えられなかった。 愛情も教育も…。 「下働きの下男・下女なみに使用人として扱き使う」 などという露骨な搾取虐待はされなかったが 「自分の事は自分でしろ」 という環境だったので… 使用人達の仕事は火を使う調理以外なら一通り覚えた。 掃除・洗濯・馬の世話 菜園の手入れ・水汲み・汚水処理などなど。 自分一人で服を着たり髪を結ったりも普通にできてしまう。 前世での知識を加えるなら調理もお手のものだ。 ローゼンハイム家での暮らしは 「親なら子を愛するべき、身を粉にして子供に尽くすべき」 だのというお子様至上主義の色眼鏡で見るなら最低最悪な暮らしだったが… 屋根の下で寝る場所があって、塩味の野菜クズとは言え食事ももらえたのだ。 貧民街の孤児と比べるならば美しい衣服や教育や愛情がもらえなくても 「生きて来れただけありがたい」 と思わなければならないのかも知れない。 ローゼンハイム家は腐っても貴族家だったので偉い人を相手にする際の立ち振る舞いは母や姉達・侍女達の見様見真似で身に付けている。 文字の読み書きやお茶の淹れ方も姉達が居た頃に教わっている。 お茶会などに呼ばれた事もない社会的に認知されてないかのような引きこもり令嬢だったので「令嬢として」はかなり無能で世間知らずの筈だが…。 「労働者として」なら実は私は有能なのではないかと思っていたりもする…。
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