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「その方が都合が良い」という人権蹂躙
激戦区はブライトナー公爵領ではないので、当然、そこで魔物と戦ってる人達はブライトナー公爵派とは無関係の人も多い。
レーゼル公爵派の人達やハグマイヤー派のハイドフェルト公爵家傘下の者達も多い。
なので私が認識阻害魔道具で髪色瞳の色を変化させているのは都合が良かった。
しかも姓もブライテンバッハ姓。
ローゼンハイム家から出ているので旧姓を名乗らない限り、私が治癒魔法で活躍して有名になってしまっても、小説のようにレーゼル公爵が出しゃばってくる可能性は低い。
心置きなく魔法を使いまくる事ができた。
四回魔法を使えば5時間以上も休憩を必要とし、午後から二回魔法を使うのみ、という「1日計六回しか治癒魔法を使えない治癒魔法使い達」ではこなしきれない数の怪我人を「1人10分」というペースで淡々と治癒させていくのだから、私は自分で言うのも何だが本当に便利な存在だと思う。
しかも普通の治癒魔法使いでは欠損は治療できない。
せいぜいが血止めと殺菌及び炎症止め。
騎士達も傭兵として雇われた冒険者達も相当助かったと思う。
普通なら今後は戦闘職の仕事を続けるのは無理だと判断されるほどの大怪我が自己負担金無しで数分で治癒するのだから。
中には
「神聖な神の奇跡に出会ってしまった!」
と錯覚する人達もいて涙まで流して拝み出した…。
(事務的対応をして流したけど内心では退いてしまい、実はコワかった…)
感謝されるのはありがたいのだが
「若い女だとナメられる」
という事なのか…
「『聖女』として祭り上げて崇めてやれば、延々清貧生活を強いて、搾取してやれる」
という欲を無自覚のまま強めて依存的になる人達にありがちな
「妙な執着を含んだ視線」
を向けられるようになった…。
コワイものだと思う。
当人達はそうした執着を「好意」だと思ってるようだけど
コッチから見たら「依存と搾取を延々繰り返せるカモを狙う欲」だと丸分かり。
ディートリヒがアマーリエ・カレンベルクに「私のお財布」扱いで執着されてた事がトラウマになってる気持ちも分かる気がする。
「依存欲・搾取欲を好意だと錯覚して『好意を向けてやってるんだから大人しくコチラの意向に従え』的な粘着な執着を向けてくる人達」
というのは、それこそ私には気持ち悪い。
ディートリヒの場合は私と違って前世の記憶とかも無くて
「人を見る目」とかも無かったから
最初はアマーリエに騙されてたけど。
私は今の時点でも充分
「人を見る目」は有るつもりだ。
「私を搾取しようとする人達」
に対して、当人でさえその卑しい欲に無自覚でも私は気付いてしまう。
ラインハルトとヒルデブレヒトはその点、良い護衛だった。
当初は魔物が治癒師宿泊区域にまで進出して来るから護衛が必要なのだろうと思っていたが、実際には魔物は私が居る所までは来ない。
私を護る護衛は「魔物から」ではなく「人間から」私を護る役目だったのだ。
嫌な予感は当たるものでーー
レーゼル公爵派の騎士達は
「ペトロネラはローゼンシュティール伯爵家の血が入っている家の出に違いない」
とか言い出してるのだとか。
「現状はオスヴァルト様に(ブライトナー公爵に)お伝えしてるから、スタンピードも収まってきたし、そろそろ引き上げ許可も降りると思う」
とラインハルトが教えてくれたのがありがたい。
「あくまでもブライトナー公爵派の治癒魔法使いの投入はブライトナー公爵派側の善意によるもの」
という点を崩さずにおかないと
「聖女が国民の怪我を癒すのは当たり前」
「ブライトナー公爵派は聖女の力を私物化している」
だのと増長した妄言を触れ回り出す人間も出てくる。
恐ろしいものだと思う。
類稀なる治癒能力を持つと何故か
「人々を癒すための人々の奴隷」
のように際限なく
「隷属と自己犠牲的奉仕が強要される」
風潮が政治的恣意で人工的に作られるというのだから…。
しかも人間
「その方が都合が良い」
とか思うと皆でそんな風潮に飛びつく。
そこには
「依存され搾取される標的に対する人間的思いやり」
などカケラもない。
人権蹂躙も甚だしい。
「聖女扱いでちょいとばかり崇めてやれば良い」
という厚かましい考えで
「敬ってるフリをする」
という
「対価にもならぬものを対価代わりにして」
依存欲と搾取欲を集団で肥大化させていくのだから…
(ホント、コワイよな…。自分で自分を分かってない人達って…)
と、しみじみ思った。
(…ほのぼの系の御都合主義人情小説とかだと人々の中に有る「崇めてるフリをして依存欲と搾取欲を拗らせ清貧・激務を強いてくる」ような「厚かましさ」とか「依存欲が満たされぬと逆恨みする非合理」とか描かれてなかったけど。…現実として庶民とか弱者の中にもそういう狡さ卑劣さってどうしようもなく有るんだよね…)
正直、人間が嫌いになりそうになる。
人間は醜い。
だけど、そうした醜さは
「自然発生」
するものではなくて
「誰かが」
唆して発生する醜さだという事も私は知っている。
「その方が都合が良い」
「そう思った方が罪悪感すら感じずに搾取できる」
「そう思った方が感謝すら感じずに依存できる」
そういった
「認識のレール」
が敷かれていて
それを踏襲して現実を解釈するから
人は人を平気で踏み付けにしながら搾取できるようになる。
…とにかく
(癒してあげても、その後粘着になる人達というのは本当に癒し甲斐がないな…)
と思った。
なので粘着な視線を向けてくる人に対しては再度怪我をして患者になった時に「傷回復」だけでなく「無効化」もかけるようにした。
妙な洗脳状態がある場合「無効化」が一番有効だと、これまでの経験で理解出来ている。
お陰でブライトナー公爵から「引き上げ許可」が出て、自宅へと引き上げる頃には多少は気になる風聞は収まっていた。
******************
自宅に戻るとディートリヒが
「本当に大変になるのはこれからなのかもな」
と呟いたので…
「私は『聖女という名の皆様の奴隷』みたいな者にさせられてやる気はないですよ?」
と明言してやった。
今後も奴隷商人として欠損奴隷を仕入れ、治療して客に売っていく仕事を続けるつもりだ。
「他人が『治癒職こそお前の転職だ!治癒職について清貧自己犠牲で馬車馬のように働いて皆様に奉仕しろ』とか押し付けようとしてきても、絶対従う気はないですから」
と私が念押しして言うと
「うん。分かってる」
と頭を撫でてくれた。
好意のフリをした依存と搾取の恐ろしさは、その標的にされた事のある人間にしか理解できないのかも知れない。
私はウンザリするような社会で暮らしてる割には運が良い。
ディートリヒはそういう意味で私の先輩だ。
ディートリヒにしてみればアマーリエのような女との因縁は辛いだけだったろうけど、私からすれば
「身勝手な狂人に粘着されて執拗に搾取されそうになる人災」
を認識できる彼が側に居てくれる事が嬉しい。
彼が人災による苦労をしていなかったら、私が人災による苦痛でどんなに苦しんでもそれを理解できなかったと思う。
被害者同士の馴れ合いーー
という風に客観的には見えるかも知れないけど
「自分が同じ目に遭わないと理解できない」
ような人災は存在する。
被害者同士は
「やっと理解してくれる人に会えた」
という想いで繋がっていける…。
繋がっていける人が出来たことで苦しみを徐々に忘れていける。
心から安らげる。
(ここはホッとできる私の居場所だ…)
という想いでディートリヒの胸に顔を埋めた。
injuriarum remedium est oblivio
(損害の癒しは忘却である)
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