玄冬の夜半に

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玄冬の夜半に

 淡い雲から射す陽光が、残雪の表面で細かな光を放つ。そのなかにある誰もいないはずの廃墟に、今日は人影が見える。誰だろうか。そう思って、(ヨウ)は建物の前へ降りた。 「青春のものに、吉ありさね」そう言う老人が差し出した、しわだらけの手に止まる。豊かな白いひげを見る限り、還暦はすでに超えているのだろう。もしかしたら、仙境にいるという仙人なのかもしれない。なんといっても、(ヨウ)と話せる人間は少ない。 「なぜ吉なのか?」 「吉祥(きっしょう)じゃ。東、緑の方角。こんなことをいうのも、わしに幸を運んでくれたお礼さね」 「私は何もしていないだろう」そういう(ヨウ)には答えず、老人は朱色の玉を口に含む。 「では、また。吉祥は大切にな」老人はそれだけ言って、空気に溶けていった。  青春。何をあらわしているのだろう。何もわからないまま東へ向かう。陰陽思想で、青い春、そして酸味と関連付けられた方角へ。 ◆  何日も飛び続けると、にぎやかな町についた。もうすぐ新年だから、これほど鮮やかで盛り上がっているのだろう。  「青春のもの」は、この町かもしれない。でも、暮らす場所は森の中がいい。(ヨウ)は夕暮れの草原をさらに東へ飛んだ。途中で日が暮れても止まる木はなく、あいまいな景色の中を飛び続けるしかなかった。夜も更けたころ、眼下に飛ぶものが見えた。それは(ヨウ)に、今日は何も食べていなかったことを思い出させる。  勢いをつけて急降下し、その小さな影をつかむ。爪の中でキイキイと小さな鳴き声がした。蝙蝠(こうもり)か、と思うのと同時に、空で橙色の花が開いた。続いて、低い爆発音が響く。新年、つまり青春になったのだろうか。蝙蝠は吉祥。これは食べてはいけないのかもしれない。(ヨウ)はそう思って、爪をそっと開いた。 「だいじょうぶか?」 「うん……。あなた、誰?」今まで聞いたことのない声。蝙蝠なんて、話さないはずだったのに。 「(ヨウ)という名前だ。飛鷹走狗(ひようそうく)とかのヨウさ」 「タカなの?」 「ああ」 「すごい! あこがれてたの。ねえ、話聞かせてくれる?」ふしぎな感じがする。どうして、食べるはずの蝙蝠と話しているんだ。 「また、明け方にな。夜はどうも、調子がよくない」 「それならここに来て。一本だけ立ってる、松の木のところだからね」  さわさわと揺れるすすきの上を飛んで、蝙蝠はもう見えなくなってしまった。また明日、会えるのだろうか。そんな心配をしながら、は少し先にある木に向かった。
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