【3】

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「おひとりさまでのご利用は、想定していないんです」  ドキドキしながら店内に足を踏み入れたイリナに対し、眼鏡をかけた男性店員が申し訳無さそうに言った。  もし、相手に少しでも居丈高なところがあったら落ち込んだだろう。  しかし、連れはいないと聞いて、困った顔をしながら説明してくれたところで、イリナはすんなり諦めがついた。 (それはそうよね。アフタヌーンティーって、何段もあるハイティースタンドに、見栄え良くスイーツとサンドイッチを盛り付けるのよね? 一人分だったらすかすかになって、お店のイメージに合わないのよ、きっと)  知識に照らし合わせて、物わかり良く身を引こうとしたイリナ。その体の主導権を奪い、ジーナが店員に向かって気取った調子で言う。 「あら、こう見えて私、大食漢なのでご心配なく。二人分持ってきてくだされば良いのよ。実際に二人みたいなものだし」  あやうく、噴くところだった。  何かとんでもないことを言っている。 (ジーナ! わたし、お金ないの! 二人分なんか払ったら、破産よ!) 《お給料の前借りなさい。そのくらいの融通はきくでしょう?》 (借金がある図書館職員なんて、白い目で見られるだけだよ! お金に困って貴重な蔵書でも盗み出すんじゃないかって、職場を放逐されるかも!)  何がなんでもお茶をしたいジーナに対し、イリナは切々と説得を試みる。  一方、「二人みたいなもの」をどう解釈したのか、店員はちらりとイリナの腹部に視線をくれた。  いまにも「そこにもう一人……?」と言い出しかねない空気だった。  違う、そうじゃないんです。  もうひとりがいるのは、頭の中です。 (さすがに言えませんが)  イリナは思わず、手のひらで額を押さえる。  ぐっとため息をこらえたそのとき、ふんわりとしたお茶の匂いが薫った気がした。  ちらりと店内を見ると、そこには夢のような空間が広がっていた。  漆喰仕上げの高い天井には、青を基調としたステンドグラスが嵌め込まれている。  仄かに青く染まった光が降り注ぐ店内には、優美な意匠の施されたテーブルや白系統のソファがゆったりとした間隔で配置されていた。  壁紙はペールブルーで、絵柄は赤いバラ。足元には異国製と思われる精緻な幾何学模様の絨毯が敷き詰められている。 (これはこれでため息が出る……。本当に綺麗)  観葉植物やパーテーションでゆるく仕切られ、半個室のようになった各テーブルには、それぞれ美しく着飾ったご令嬢方や、その母親くらいの世代と思しき女性のグループがついていた。  テーブルには、これぞお茶会ならでは、というハイティースタンドが置かれている。  給仕が何度もテーブルに運んだり、皿を何枚も並べて場所を取ったりしないよう工夫されて作られたものということだが、宝石のような一口スイーツが盛り付けられている様は、美麗としか言いようがない。  イリナは、ぐ、と奥歯を噛み締めた。  ジーナの横暴に付き合うと言い訳をしながら、ひそかにイリナ自身期待に胸をふくらませていたのだ。  だけど結局、目の前で夢は立ち消えた。  どうあっても、イリナには贅沢が許されないのだ。 《ここまで来たのに、あっさり諦めるというの? やだ、私、次はいつこんな人体乗っ取りの術が成功するかわからないのに……!》  頭の中で、ジーナの声が響く。 (ジーナ、悔しがり方がエグい! どこの悪女よ、もっと穏便な表現で!) 《どう言い換えたって変わらないわ。若い娘さんの! 体を弄ぶ! 絶好の機会が!》  もっとエグくなった。  諭すのを諦め、イリナは「お手間を取らせてすみません」と店員に退店を告げようとする。  そのまま、ジーナに騒がれる前に店を出ようとしたが、振り返ったその先に人が立っていた。 「知らなかった。ひとりの利用はできないのか。これは困ったな」  頭上から、すっきりとした響きの美声が降ってきた。
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