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 正面から歩いて来る紳士が三人。  往来にも構わず爆笑して、体を揺らして小突き合っていた。その一人がぐらっと体を傾けて迫ってくる。  危ない……! と思ったときには、体が勝手にさっとかわした。  普段、俊敏とは言い難いイリナらしからぬ、無駄のない動作。 《失礼しちゃうわね。レディに気づかず、道を譲らせるなんて》  スカートに手を伸ばして、埃を払うような仕草をしつつ、ジーナは去りゆく男たちの背を睨みつけた。 (たぶんあの方々にとって、私はレディではないのでしょう。慣れています、そういうものだって) 《こんな王宮の近くの道を、我が物顔で歩いているなんて。それなりの身分の相手なのだと思うけど。「気を使うべきレディとそれ以外」を無意識に分けているなんて。おお、なんて卑しい根性なのかしら。私、ああいうのが伴侶だったら耐えられない!》  ジーナは矢継ぎ早にぽんぽんと小気味よく話す。  聞きようによっては毒のある言葉も多いが、このときのイリナは咎めることなく、苦笑にとどめておいた。 (私も、考えはジーナに近いと思います。ですが、あの男性たちに近い考え方の女性も世の中にはいるでしょう。「自分とそれ以外」に差をつける男性に心酔するような方。そういった男女で夫婦になれば、なんの問題もないのではないでしょうか) 《甘いわよ、イリナ。関心のない相手に対して冷酷に振る舞える男というのは、結局のところ自分が一番大事なの。自分か相手かを選ぶ場面になったら、絶対に自分の利益を優先する》  力強く言われて、イリナはきゅっとこぶしを握りしめた。  その瞬間、体の主導権が自分に戻ってきた感覚があった。確かめるように口を開いたとき、そのまま声が言葉となって転がり出た。 「ただひとりの女性だけしか目に入らず、愛によって命を捧げるような男性だってどこかに。……それが究極、『他人はどうでもいい』からきているのなら、私も納得しにくいとは思いますが」  はっと、自分の口を自分の手でおさえる。 (恋人もいないのに、つい出過ぎたことを言いました)  ジーナは、うんうん、と頭の中で相槌を響かせてから答えた。 《そうよね~。私はそういった自己中で視野の狭い男はお断りよ。道ですれ違った女性に気づかず、平気でぶつかるような男が夫だったらぞっとする。息子だったら見つけ次第張り飛ばして教育やり直しよ》  イリナは、歩くのを再開する。  王宮敷地に沿う道が終わり、賑やかな通りに差し掛かった頃、イリナは心の中でジーナに呼びかけるように考えをなぞった。 (ジーナの考えに、私も同意します。私も、愛する女性しか目に入らない相手より、周囲の皆さんに親切で優しい方が良いです。もちろん、世の中にはいろんな方がいますからね。誰彼構わず無闇に優しさを大盤振る舞いする必要はないと思いますが)  どちらにせよ、自分に良い顔を見せる反面、貧しい身なりの女性には辛くあたるような相手とは、うまくやっていける気がしない。  そうでしょう、と頭の中で同意の声が響く。  得意げなジーナのその声を聞きながら、イリナはふと空を見上げた。 (ジーナは、聖女だからこうして直接頭に語りかけるような、不思議な力を持っているんですか。本人には、神殿に行ったら会えますか?) 《まず、無理。私は、任期の間は俗世に関わることができないの。面会希望なんてやめてね。私に届く前に握りつぶされるだけよ。任期が終わっても、「聖女」だったことはなんだか秘密にされるみたい。神の妻だったのに、俗世で結婚なんかすると外聞が悪いのかしら》 (いますごく、俗世に関わっているのに……)  イリナの見るものを見て、風を感じ、ときには体を奪うほど大胆に。 《ふん。散々聖女を囲い込んでおいて、こんな力を見逃すなんて。神というのも、ずいぶんと抜けた存在よね》  ほほほほほ、と頭の中で高笑いが響いた。  イリナは曰く言い難い思いで、そっと進言をする。 (不敬の極み) 《うるさいわね。私怨が止まらないのよ、神への。まさか、「聖女」ってだけで、みんながみんな清らかだなんて決めつけていないでしょう》 (実は私、今まで「聖女」について深く考えたこともなかったんですけど。ジーナのおかげで、少しだけわかりました) 《何よ》  中身はふつうの人間なんですね。  イリナがそう言うより先に、何かを見つけたジーナが《あーっ! あのお店! 行くわよ!》とイリナの頭の中で騒ぐ。  ぐいっと強制的に目の焦点が遠くに合わせられる。  ハートのトランプを背景に、ティーポットとティーカップが描かれた看板。  それが何かを確認して、イリナは(あのお店ですよ!)とジーナに語りかけた。  ティールーム・トワイライト  その店こそ、イリナが通勤で前を通過するたびに気にしていた、「ちょっと素敵なお店」だった。
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