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「お前の気持ちは届かねぇよ。諦めろ」 まっすぐに見下ろされる、鋭い視線。 美しく雄々しい彼にそう告げられて、僕は恥ずかしさで死にそうになった。 __僕が、自分がゲイだと気が付いたのは小学校の頃だった。 これが数十年前だったら違っただろうけど、インターネットで何でも調べられる時代だ。 子供用携帯で自分の中の『違和感』を検索したらあっさりと答えに行きついた。 もちろんだからと言って、それをすんなりと受け入れられるというわけではなかったし、周囲へのカミングアウトなんてもっての他だ。 誰かに理解してもらいたい。 でももし非難されたり嘲笑されたら? そう思うと足が竦んで声が出なくなる。 知られたくない内側を抱えたせいか、知らず性格は内向的になった。 親の目も見られず、僕は息を潜めるようにして生きていた。 小中学校では少しからかわれることもあったけど、地元から少し離れて入学した都会の進学校では、暗いなりになんとか周囲に馴染んで生きていた。 周りに、僕の家族や地元を知る人もいない。 そのことが少しだけ僕の息苦しさをマシにした。 だから、僕は油断していたのかもしれない。 セミの鳴き声が枯れた季節に、僕は人目のない駅の隅で途方に暮れていた。 少し大きな駅は、他の学校の生徒もたくさん利用する。 その片隅で僕は……不良というか、良くない人たちに絡まれていた。 少しだけ派手な髪型に着崩した制服。 だけど人が想像するようなあからさまに悪い不良じゃなくて、声が大きくて大人にも上手く取り入る、人生を上手く渡り歩くタイプの人たちだ。 帰宅途中の僕を急に取り囲んだ3人組の彼らは、人通りの少ない物陰に僕をあっさりと引きずり込んだ。 そこで胸倉を掴まれるんじゃなくて、まるで親しいとでも言いたげに肩を抱かれる。 『ね。その制服って、ここからちょっと遠い高校だよね?お母さんにお小遣い、貰ってるでしょ?』 『全部渡さなくてもいいから、ちょっとだけ、おごってくれない?お母さんには教科書買うって言えば、またくれるよ』 『これから一緒にカラオケ行こうか。そこで、お酒とか飲んで一緒に人に言えない秘密作っちゃおうね』 ニコニコと恐ろしい笑顔を浮かべた同年代の少年たちは、親し気な口調で、でも確実に残酷な瞳で僕を見下ろしていた。 肩に重くのしかかる力強い腕を振り払うことはできなくて、喉も張り付いたようで大きな声を上げることもできない。 たまにすれ違う通行人は、高校生が遊んでいるとでも思うのか、都会らしい無関心さで足早に通り過ぎていく。 俯いて震える僕はそのまま引き摺られるように連れ出される。 人目のある駅から連れ出されてしまったら、どうなるんだろう。 分からないけど怖いことしか起こらないのは分かる。 ただただ恐怖に涙がじわりと滲んだ。 『……助けて、』 小さな、誰にも聞こえないような声が僕の口から零れ落ちた、その時。 僕は別の方向から伸びてきた腕に、強く引き寄せられた。 『おい、なにしてやがる!』 引っ張られた、と思ったら目の前に大きな背中がある。 何事かと目を見張って、ようやく俯けていた顔を上げると、高くて広い背中の上には色の抜けて跳ねる、明るい髪の毛。 僕を引っ張った正体は、その金色に近い茶髪の持ち主みたいだった。 『は?なんだよ、お前、』 『俺ら、別にただのダチだよ。なぁ?』 僕に絡んできていた少年たちが、なにやら気圧された表情で僕の方へ視線を流す。 まるで救いを求めるような彼らの表情が不思議で、でも反応なんてできなくて肩を震わせると、僕の目の前に立ちふさがっていた男が体から一気に怒気をまき散らした。 『ああ?ふざけてんじゃねぇよ!ダチなわけねぇだろうが!』 言うが早いか、彼は目の前に居た少年の胸倉をつかむと、盛大に殴り飛ばした。 痛そうな音と、それから焦ったような少年たちの怒鳴り声。 人気のない通路に僕を引きずり込んだのが彼らにとって自業自得となったのか、駅員さんも通行人もいない。 『君、僕と同じ高校の子だよね?大丈夫?怖かったね』 彼と一緒に来たらしい、黒髪の優等生然とした少年が、僕のことを気遣わし気に覗き込んでくる。 そっと背中を撫でられて暖かで優し気な手の感触が制服越しに背中を滑る。 でもその声は、僕の耳には入っていなかった。 __なんて強くて、格好いいんだろう。 視線が、心が、僕の全ての感覚が、目の前で激しい怒りを露わにしている彼に惹きつけられる。 僕より遥かに高い背も。 逞しい腕も。 厳しそうな引き締まった口元も。 今は狂暴な色を乗せている、切れ長な瞳も。 そのどれもが僕には異世界のもののようで、現実感がない。 まるで目の前に突然、神話の中の建御雷神が激しい雷と共に降り立ったみたいだ。 あまりにも美しい彼の姿を、少しでも目に焼き付けたくて僕はただ間抜けみたいに目を見開いて立ち尽くす。 3対1なんてものともせずに、少年たちを地面に沈めた彼は、少年たちの持ち物を少し漁るとこちらに向き直って数歩近づいてきた。 『……平気か?』 先程までは迸る怒気を溢れさせていた彼が、深く落ち着いた声を掛けてくる。 凪いだ、でもまだ瞳の奥に熱を溢れさせるような瞳と目が合った。 彼の視線が僕に刺さる。 ただそれだけのことで、僕の体は喜びとも興奮ともつかない不思議な感覚で小さく震えた。 だけど、僕がお礼を言おうと口を開いたその時、僕の隣の少年が呆れたようなため息をついた。 『鳴守(なるみ)、それはこっちのセリフだって。怪我は?』 『あるわけねぇだろ、尊(みこと)。あんな奴ら相手に。』 『こっちの子も大丈夫そうだよ。良かったね』 尊と呼ばれた少年が、こちらをくるりと振り向く。 にっこりと笑いかけられて、僕が戸惑っていると、鳴守というらしい少年は小さく舌打ちをする。 なにが彼を苛つかせたのか分からないけど、格好いい少年二人に囲まれて、ただでさえ内気な僕は眉を下げた。 すっかりお礼を言いそびれて、通学かばんの持ち手をぎゅっと握りしめる。 『で、随分派手にやっちゃったけど、逃げる?』 『俺はそうだな。これ、そこのクズの携帯と学生証。今までの恐喝の証拠になりそうなラインの履歴。……あとは頼んだ』 『こんな時だけ弟面?まぁいいけどね。引き渡しておくよ』 彼らは固まる僕を気にせずに、さっさと会話を進めていく。 そして一通り彼らの中で話が決まったら、鳴海君はあっさりと僕らに背を向けてしまった。 僕のことなんてまるでいないかのように。 逞しい背が遠ざかっていく。 ああ、あと少しだけでも、彼の横顔を盗み見ていたかった。 残念さに痛む胸を押し殺して、ようやく緊張から解かれて平静を取り戻した胸に大きく息を吸い込む。 そして、僕は引き攣りがちな唇を、なんとか無理に押し開いた。 『あり、がとう、ございます。あの、お名前を、教えてもらってもいいですか……?』 それが今から、もう半年も前のことだ。 秋口だった季節は冬を迎え、そして再び少しづつ空気は暖かさを含ませてきた。 そして桜が芽吹くのを待たずに、___僕は立派なストーカーになっていた。 助けてくれた彼の名前は、鹿島 鳴守(かしま なるみ)君というらしい。 僕よりも一つ年上の高校2年生で、僕と同じ路線で行ける公立の高校に通っている。 素行はあまりよろしくないけれどそれすら魅力的で、男女問わず後輩から絶大な人気がある。 彼と一緒にいた少年は鹿島 尊(かしま みこと)君で、彼は鳴守君の双子の兄になるらしい。 僕と同じ高校に通っていて、しかも今年は生徒会長になることが、前任からの指名で決まっている。 成績優秀で人当たりも良く、スポーツもできる凄い人らしい。 あまりにも対極的な二人だけど、兄弟仲は良いようで、毎日二人で同じ電車に乗っている。 初めは、どうにかお礼を言わなければと、通学電車でちらちら視線を送る程度だった。 だけどどうにもタイミングがつかめなくて、僕のことなんて忘れてしまっているだろうという卑屈な気持ちもあって声が掛けられなくて。 そのうちに、ただ鳴守君のことを見ていたいって思い始めて……気が付いたら、止まれないところまで来てしまっていた。 彼らの電車での会話に耳を澄ませて、こっそり趣味や好みを探ったり。 学校の近くまで行って、彼が下校するまで近くのお店で粘ったり。 わざわざ弟の尊君のファンクラブに入って、鹿島家の情報を探ったり。 SNSもチェックしたけど、残念ながら鳴守君は随分と前から更新していないけど、その代わりに尊君は頻繁に更新しているから、そこでたまに出てくる鳴守君の片鱗を探し回ったり。 ほんの少しだけ、っていう気持ちで最近はどんどんエスカレートしている気がする。 知らなかった彼を知れるのが嬉しい。 たとえこの先、一生関わることがなくても、それでも少しでも彼の生活を覗き見たい。 そして彼が何か困っていることがあるなら、こっそり分からないところから助けたい。 直接会って話すなんて烏滸がましい。 ただ僕は彼に影のように付きまとっていたかった。 どうしようもない変態だって分かっているけれど、それでもやめられない。 ストーカーだって分かってるけど……やめられなくなっていた。 「ねー、鹿島君、昨日から病気なんだって?」 「イケメンが休みなんてやる気でないよね。早く良くなってほしいね」 その日も僕は、いつもの通学電車を待っていた。 ごくまれに鹿島兄弟は早めの電車に乗ったり、逆に遅刻ギリギリになったりする。 だから僕は大体、1時間前から駅でこっそり待機している。 そして今日も彼らの登場を待っていたのに、聞こえてきた女の子たちの言葉に、僕は固まった。 振り向くと彼女たちはもういなくなっていた。 電車に乗ってしまったんだろう。 だけどそんなことよりも、僕の頭は重大なことで一杯になった。 __まさか鳴守君が、病気になった? そう言えば、先週は遅くまで友達と外でサッカーしていた。 まだまだ寒い季節だっていうのに、途中からジャージの上着を暑いって脱いでTシャツになってた。 それで汗が冷えないかなって心配していたのに、やっぱり風邪を引いちゃったんだろうか。 それだけだったらいいけど、何か悪い病気だったら。 彼の健やかな生活を見守るのが僕の人生最大の幸福なのに。 熱でうなされている彼を想像して、不憫さに胸が痛む。 どうせなら僕が病気になればよかったのに。 そうして、居ても立っても居られなくて……僕は弾かれたように駆けだしていた。
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