パルムとピョルテ

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パルムとピョルテ

パルムとピョルテ 「あなたのお父さんは最後にこう言って出かけたのよ。『心配ないよ。必ずまた会えるのだから』ってね」 パルムのお母さんはいつもそう話してくれました。 とても穏やかな幸せそうな声で。 パルムは小さな港町に住んでいました。 やわらかな黒い髪と優しいまなざしを持つ子供でした。 「あなたは生まれた時に、白桃の香りがしたのよ」 パルムのお母さんはいつもそう言いました。 お父さんは、パルムが物心ついた時にはもう居ませんでした。 彼は沿岸の国境警備隊で働いていました。 ある風の日、大きな船が行方不明になりました。 パルムのお父さんはその船を探しに行って、そのまま帰ってこなかったのです。 「お父さんはね最後にこう言ったの」 パルムが大きくなっても、お母さんは時々思い出したようにその話をしてくれました。 「『心配ないよ。必ずまた会えるのだから』ってね」 パルムはその話を聞くたびに、不思議な気持ちになりました。 なぜお母さんは穏やかな声でそう話せるのだろ? パルムのお父さんは結局帰ってこれなかったのに。 なぜだろう? それでもパルムは仕事を持つ歳になった時に、父と同じく警備隊に入りました。 ただし海ではなく山です。国境ぞいの山を警備するのです。 町を出る日、お母さんは「ちゃんと手紙を書いてね」とだけ言って送り出してくれました。 「はい。ちゃんと書きます」 パルムはそう言って故郷を後にしました。 国境の山は美しく、とても穏やかでした。波が静かな日の、故郷の海に似ているとパルムは思いました。 「気をつけろよ。この山も時にはひどく恐ろしくなるぞ」 同じ警備隊のピョルテが冗談めかしてそういいました。 ピョルテは艶やかな茶色い髪の毛と、真っ黒な瞳を持つ若者でした。 大きな声で笑って、誰とでも仲が良く、いつもみんなの輪の中心にいました。 物静かなパルムにも冗談を言ってきました。 2人は一緒に訓練をして、食事をして、時には農家の手伝いに行きました。 国境の山はとても平和だったので、警備隊の仕事も多くはありませんでした。ですから農家の手伝いや近所の簡単な大工仕事までしていたのです。 ある日、2人は果樹園で収穫の手伝いをしていました。 甘い香りの果実をもいでいるとお母さんの言葉を思い出しました。 『あなたは生まれた時に白桃の香りがしたのよ』 お母さんはあの港の町で今頃何をしているのでしょう? きっと濃いお茶をミルクティにして飲んでるに違いない。 あるいは買い物のついでに薬局にいる黒猫を撫でているかもしれない。 パルムは自分があの町から随分と遠くに来たことを初めて実感しました。 「今夜は果実酒が飲めるぞ」 ピョルテがいつの間にか隣にいて、そう囁きました。 「手伝いのお礼に少し譲ってくれるそうだ。もちろん内緒でな」 警備隊の寮では、特別な時以外はお酒は禁じられていました。それでもパルムはピョルテの誘いに興味を持ちました。 お酒を飲みたいというより、ピョルテともっと話をしてみたかったのです。 ピョルテから苺の香りがする事にパルムは気がつきました。甘酸っぱい香りでした。 『お母さんへ お元気ですか?僕は今日、果樹園の手伝いをしました。同僚のピョルテも一緒でした。 ピョルテはいい人です。 お身体に気をつけて。また手紙を書きます』 手紙にはお酒のことは書かないでおきました。 夜になるとピョルテはお酒の入った瓶を持ってパルムの部屋にやってきました。 綺麗な紅色のお酒でした。 「苺の酒らしいぞ」 2人は綺麗なお酒を飲みながら、ぽつりぽつりと話をしました。 意外にもピョルテはいつもと違っておしゃべりではありませんでした。 それでもパルムには心地よい時間でした。 「正直言うと、お酒を飲むのは初めてなんだ」 パルムが告白するとピョルテは何も言わず、少しだけ微笑みました。 それから何度かパルムとピョルテは一緒にお酒を飲みました。 そして穏やかな夜を一緒に過ごしました。 「正直言うと、俺は静かにしてるのが好きなんだ」 ピョルテがそう告白しました。 「似合わないだろ?」 パルムは微笑みながら小さく被りを振りました。 平和な国境の山にも嵐がやってきました。そして不運なことに隣国からの大使一行が巻き込まれてしまったのです。 「捜索隊を出すことになった。今から名前を呼ぶ隊員は、一緒に来てくれ」 隊長が名前を呼んだメンバーの中にピョルテも入っていました。 「本当に行くの?」 部屋で支度をしているピョルテにパルムは尋ねました。 「今夜は当番だから、俺が参加するのが当たり前だろ」 パルムは信じられませんでした。 窓の外はものすごい嵐なのです。大きな竜が鳴いてるような風と雨の音が聞こえます。 「本当に行くの?」 行ったら帰ってこられないかも知れないのに。そう思うとパルムは息が苦しくなり倒れてしまいそうでした。 「君が帰ってこなかったら、僕はどうすればいいの?」 ピョルテはその言葉に驚いて、大きく目を見張りました。 それからパルムの事を静かに見つめました。 「心配ないよ。必ずまた会える」 ピョルテは微笑みました。 ああ、父さんの言葉と同じだ。 ピョルテと捜索隊は出発しました。仲間達の心配をよそに嵐は更に強く大きく膨らんで行きます。 ふいにパルムはお母さんに手紙を書きたくなり、ペンを取りました。 『お母さんへ 今晩、ピョルテと仲間達が嵐の中、捜索へ行きました。 僕の心は心配で死んでしまいそうです。 ピョルテは出かける前に、父さんと同じ言葉を言いました。 「心配ないよ。必ずまた会える」と言いました。 本当に会えるかどうかわかりません。それでも僕は嬉しかったです。 僕はピョルテの帰りを待っていていいのだと、許された気がしたのです。 母さんが父さんの話をする時、幸せそうにしている気持ちがやっとわかりました。 ピョルテが帰ってきたら、また手紙を書きます』 嵐は何日も続きました。 パルムはずっと窓の外を眺めて、ピョルテの帰りを待っていました。 来る日も来る日も待っていました。 どれくらい経ったのでしょう。いつの間にかパルムは疲れ果てて自分のベッドに横たわり夢の中にいました。 ぼんやりとした意識の中で、ピョルテがベッドのすぐそばに立っているのに気がつきました。 『帰ってきたの?』 『そうだよ。「必ずまた会える」って言っただろ?』 パルムは手を伸ばすと、ピョルテはそっと手を握ってくれました。 目が覚めるとそこには誰もいませんでした。 しかし部屋の中には甘い苺の香りが確かに残っていました。 そしてピョルテの柔らかな手の温もりも残っていました。 窓の外の嵐はすっかり消えていました。 母さんにまた手紙を書かなくちゃ。パルムはそう思いました。
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