記憶「小学生」

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 小石を蹴りながら歩く生徒、談笑しながら歩く生徒たち、本を読みながら歩く生徒。千春は彼らに混ざりながらふらついた足取りで帰り道を進んでいた。 通学路の途中にある公園では子供たちがボール遊びに勤しんでいる。赤い夕日によって作られた影たちが、彼らと同じように地面で飛び跳ねている。  田んぼが並ぶ道まで歩く頃には、千春の周りを歩く者はいなくなっていた。遠くに見える山々はまるで巨大な防壁のようだ。風で靡く稲穂と同じように揺れる髪が彼の視界を遮る。懸命に髪を掻き分けながら、彼は目的地を目指し歩き続けた。 やがて山の麓の道に着いた千春はそこから山の中へと続く小さな道へと入っていった。 夕日に照らされる緑の木々を見上げながら、彼は森の奥へ奥へと足を進めた。彼の目的地はそこにあった。山道を少し歩いた先、目印は木の枝に括りつけられたビニール紐。  その先にある朽ち果てた廃屋が、彼の唯一の聖域だった。 木造の二階建てだったが、二階部分はかなり損壊している。壁には蔦が絡まり、剥き出しになった木材に蜘蛛の巣が張り巡らされていた。 誰の家だったかもわからないその場所が、彼の世界の全てだった。 千春は廃屋の中へ迷いもなく入る。床の隙間から雑草が生え、崩れた二階から光が差し込んでいる。家具は机と空っぽのロッカーのみ。何に使われていたのかもわからない場所だった。  千春は机の上にランドセルを置き、その横に座った。一部の陽気な男子生徒のみが好む机に座るという行為。それを彼はたった一人の空間で行っていた。 ここにいる間だけは自由になれたのだ。教室の隅で縮こまることも、視線に苛まれることもないのだから。 自然の音を聞きながら目を瞑る。すると暗闇の中に色鮮やかな緑の森の光景が自然と浮かぶ。そうしているうちに意識が自然に溶け込み始め、やがて心地良い気分になれるのだ。  千春の中では、一人ぼっちとは自由だった。  自然に溶けてしまいたい。そう願った。この世の人間から認知されることのない、どこか別の世界へ行きたいと願った。 自分を嫌う人間のいない世界へ行けば、彼らも喜ぶことだろう。小学生にして彼は微かではあるが、“死”というものを望んでいた。 方法も勇気も、覚悟もなかった。ただの戯言に過ぎなかった。しかし、もし眠るように死ぬことができればと一日に一回は考えていた。  遠くから聞こえるサイレンの音で目が覚める。午後六時を知らせるサイレンだった。 項垂れていた顔を上げ、千春は慌ててランドセルを背負った。約一分間ほど流れるサイレンが止まぬうちに廃屋を飛び出し、山道を一気に駆け抜ける。 鬱蒼とした森を抜け麓の道に出れば、彼はそのまま全速力で田園の広がる夕焼けの道を走っていった。
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