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 千春は膝に置いた手を固く握りしめ俯いていた。 薄暗い夕暮れ時のファミリーレストランには制服姿の学生たちや子供を連れた親たちで賑わっている。 騒がしいレストランの片隅で、千春と秋人は互いに向き合う形でソファに腰掛けていた。机の上には水の注がれたグラスのみ。 「えっと…じゃあ俺、コーヒーで。進藤は?」 「……同じので…。」  向かいに座る秋人はウェイターの女性へ「じゃあ二つ。」と指を二本立てながら告げた。ウェイターが去った後の沈黙は耐え難いものだった。 千春は未だに秋人の顔を直視することができず、ただ俯くだけだった。寒さのせいか腹が痛み、それとは裏腹に額には汗が滲む。 辺りの騒がしささえ聞こえないほど、彼の意識は深い闇の底へと沈んでいた。 「……あ、あのさ…。俺ずっと…お前に謝りたくて…。」  千春の体感では一時間ほど経っていたが、恐らく数分後。秋人はぎこちなくもハッキリとした声でそう告げた。 長い髪の隙間から、千春は彼を一瞬だけ視界に入れた。その顔はやはりあの秋人だった。幼い頃、自身を虐げ笑い者にしたあの秋人であった。 そして何よりも、自身が監禁している五十嵐秋也の兄であったのだ。 「お、俺さ…小さい頃、お前に沢山…酷いことしただろ…?今更こんなこと言う資格がないのはわかってる。でも…本当にごめん…!」  秋人は机に額が当たる寸前まで深々と頭を下げた。彼とは思えない行動に千春は一瞬狼狽えたものの、相変わらず視線を上げることはなかった。 「……べ、別に…昔のことだから……。」  彼がそう呟いたと同時にどこからともなくウェイターが現れ、湯気が立つ黒いコーヒーを二つ机に置いた後どこかへ去っていった。 再び流れる沈黙。コーヒーから昇る白い湯気だけが絶え間なく動いていた。どこからか子供の喚き声が聞こえ、恐らく高校生であろう若者たちの笑い声も聞こえる。 心臓が押し潰されそうな心境の千春に、秋人はコーヒーを一口啜り話し始めた。 「…お、覚えてるか…?“あの事件”…。俺あの事件があってからさ、ずっと謝りたかった…。お前は本当に辛かったのに…俺は……。」  “あの事件”。  千春は遂に顔を上げ、秋人をその目で直視した。その顔にかつての威勢はなく、どこか疲れ果てた様子であった。 先ほどまでは気づかなかったが、彼の目の下には薄らと隈があった。窶れてはいなかったが、少々活気のない様子だった。
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