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千春は初めて自身の犯した罪の重大さを実感していた。
鉛のように重い十字架を背負わされている気分だった。一つの家庭を壊してしまったという事実に、後悔の波が一気に押し寄せる。
取り返しのつかないことをしてしまったのではないか。今更そう感じていた。
秋人は疲弊しきった様子で、手元の財布から千円札を取り出した。それから小さなメモ用紙を取り出すと、持参していたボールペンで何かをそそくさと書き殴った。
そしてそれらを机に置くと、彼はそのまま鞄を持ち立ち上がった。
「悪い、今日はもう帰らないと…。これ一応、俺の連絡先。何かあったら連絡してくれよ、俺いつでも出るからさ…。あとお釣りは貰ってくれ。」
後悔と困惑が一気に押し寄せる。何故、彼はこんなにも誠実な大人になっているのだ?何故、あの時のように自分を虐めないのか?
あの時のどうしようもなく意地悪で乱暴者だった頃の秋人は、ガキ大将だった彼はどこへ行ったのだろうか。
下駄箱に小石を詰め、ランドセルを切り裂き、上履きに罵詈雑言を書き殴り、机に生ゴミをばら撒き、固いバスケットボールを顔面にぶつけた彼はどこへ…。
どうせならあのままの彼の方が良かったと、千春はつい思ってしまった。あの時のように暴言を吐き、嘲笑う彼であってほしかったと考えてしまった。
「お前相変わらず不気味だな、早く死んじまえよ。」と、そう罵る彼であってほしかったと心の奥底で願ってしまった。
そうすれば、彼の弟を誘拐し監禁した自分をほんの少しだけ正当化できる気がしたのだ。
「五十嵐…。」
去ろうとする秋人の背に向かって、千春は今日一番大きな声で呼び止めた。
振り向く秋人の顔に小学生時代の面影はなく、やはり千春がいくら願っても彼は立派な好青年へと成長していた。
「…弟、無事に見つかると良いな。」
千春の絞り出すように放たれたその言葉に、秋人は薄らと笑い頭を下げた。
千春は彼の背中が見えなくなるまで、その背中を見続けた。腹痛は治っていたが、代わりに酷い吐き気がした。
真っ暗な窓に映るのは外の景色ではなく自身の顔だった。その顔を見つめながら、千春はこれまでにないほどの自己嫌悪に陥った。
(あいつより…俺の方がよっぽど悪人なんじゃねぇのか…?)
そんな考えは夜の彼方へと消え去っていった。
夜の深い闇と同じ色をしたコーヒーを飲み終え、彼は千円札とメモ用紙を握りしめると、おぼつかない足取りで席を立った。
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