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沸々と湧き上がる後悔に押し潰されながら、千春は帰路についた。
街灯の明かりや家々の明かりが道を照らし、どこからか家族団欒の楽しげな声が響いている。
その声を聞くたび、彼の心の中の不安は膨れ上がっていった。
自分が誘拐さえしなければ、秋人の家族は今頃どうしていただろうか。
家族全員で楽しい団欒のひと時を過ごしていたのではないだろうか。事件に怯えることもなく、精神が乱れることもなく。
父母、そして二人の息子。皆が幸せだと思える時間を過ごせていたのではないだろうか。そんなことばかり考えてしまった。
一方の千春は寂れたアパートに一人で住む、ただのしがないフリーターである。
家族も親戚もおらず、これといった親友もいない。世界の隅に取り残された孤独な存在なのだ。
そんな誰にも認知されない存在が、幸せな家族の行く末を変えてしまった。とんでもない大罪を犯した人間でもあるのだ。
どちらが価値ある存在か、一目見ただけで明白であった。
アパートの階段を一段上るごとに募る後悔。背中に重い何かを背負っているかのような気だるさ。
部屋の前に着く頃には、体だけでなく精神まで疲弊していた。
(…俺って、何も成長してないんじゃないか?)
ドアノブに手をかければ、冷たい金属の感触が手のひらから全身へ伝わる。
回せば扉が開き、その向こうには秋也がいるだろう。しかし千春はドアノブを回せずにいた。
秋也の顔を見る勇気がなかった。普段嫌というほど見ている彼の顔を、今日だけは見る気になれなかった。
このままどこか夜の闇の中へと消え去り、一生ここへは戻らずに死にたい気分だった。
自分が戻らなければ秋也はそのうち自分から外へ出るだろうか。そうすれば全てが解決するだろうか。
擦り切れそうな心の中で、千春はそんなことを考えた。
ドアノブから手を離し、踵を返す。
そしてやけに長く感じるアパートの廊下を彼は無心で歩いた。
しかしいくつかの部屋を超えたところで、後方から聞こえた扉の音に足を止める。
振り返ればそこには最も会いたくなかった男がいた。
冷たいドアノブを握りしめ、半開きの扉から身を乗り出した秋也の姿。夜の闇のせいで鮮明には見えなかったが、辛うじて見える瞳は夜空よりも深く暗いものであった。
「…なんで、出てきた?」
「足音が聞こえたので、帰って来たんじゃないかと…。」
簡易的なサンダルを履き、秋也は廊下へ一歩足を踏み出す。
彼にとっては数ヶ月ぶりの外の空気だっただろう。しかし彼は久しい外の空気や景色には目もくれず、一直線に千春の元へ前進した。
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