前日譚・猫とチェシャ猫じゃ大違い

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 昼過ぎから原宿の一角にふたりで立って、交代でトイレに行きつつ、日が傾くまで人の流れを見ている。まだ誰にも声をかけていない。 「こんなもんよー。もっとたくさん連れて帰るやつもいるけどさ〜。こっちだってリソース無限じゃないんだから、もっと絞れよっておれは思うのよ。  まあ、新人のうちはノルマあるかもねー。ま、それは頑張って。今日目を付けてた子たちだったら、別にノルマとしては十分というか。見るとこは見れてるよ。  おれは厳選したいのよ。見込みの薄いタレント増やしてどうすんのよってね」  適当な口調で、だらだらしゃべる永山さん。でも「見るとこは見れてるよ」の評価をもらえただけで嬉しい。立ちっぱなしで、正直かなり心も足腰も疲弊しているのだ。  道ゆく人のファッションをチェックする気力も薄れて、ぼんやりと人波を眺める。集中しなきゃとは思うんだけど……。  ぱっ、と視界がクリアになって、反対側の歩道の、黒っぽい人影に目が惹きつけられる。オーラだ、とすんなり思った。オーラってこういうことなのか。  毅然と伸ばされた背筋。視線は原宿のごみごみとした歩道をひたと貫き、正面を見据える。  端正な顔には、微塵の表情も浮かんでいない。騒がしい若者グループも、ビラ配りの声も、高級外車のエンジンの轟音も、その表情を歪めるには及ばない。  喧騒など存在しないかのように、一人、ランウェイの存在感で、原宿の街をすり抜けていく。女性にしては早足で大股なのに、泰然として、自信に満ちて……。  これが、オーラ。  そこまで一瞬で把握してから、ようやくオールブラックのファッションに目が移った。モード系ハイブランドで全身固めてるんじゃないか? 白すぎる肌に化粧っけはゼロ。一重で切れ長な、はっきりと印象的な目。細くしっかりと通った鼻筋。無表情でも個性を感じさせる、厚みのある唇。モードを着るために生まれてきたような顔立ちだ。  ロングウルフの黒髪は、さらさらでもなくウェットにスタイリングしているわけでもなく、洗って乾かして雑に流しているだけ、という感じ。それすらも魅力的なスタイルに思えるから不思議だ。 「永山さん、あの人」 「ああ〜。わかってきたね。オーラあるよねぇ、あの子」  唇を横に大きく引いてニヤっとする、永山さん独特の笑い方。当たりだ、と心の中でガッツポーズする。 「渡りますか?」  ぼくが横断歩道に駆け出そうとすると、永山さんはひらひらと片手を振って、いやー、とまた少しニヤつく。 「えっ?」 「あの子、原宿によくいるのよ。近くに住んでるんじゃない? でも芸能界に興味ゼロ。あれで公務員なんだって。あんな尖った髪型の公務員、いるわけないけどさー。まあ、あの子は望み薄。この辺のスカウトマンはみんなわかってるから、覚えといて」  呆れた感じでポケットに手を突っ込む永山さん。ぼくはひどく落胆して、黒ずくめの女の子を恨めしく目で追った。背の高い男性に紛れても存在感が消えないまま、遠ざかっていく。 「公務員? なんでそんなバレる嘘つくんですかね?」 「意外とほんとだったりして。いつも17時過ぎにこの辺歩いてるんだよね〜。ほんとに定時上がりの公務員かもしれなくない?」 「うーん……。今日休日ですよ」  ぼくも永山さんも休日出勤。代休はあるけど、やっぱホワイトではないよな……と慄いていたところ。 「平日休日関係なく、いるときはいるし、いないときはいないね。なんか……土日休みじゃない公務員もいるじゃん? 知らんけど。まあまあ。オーラ、わかったでしょ」 「あー……。完全にわかりました」 「粘った甲斐があったねぇ〜」  永山さんが引き上げる素振りを見せたから、心底安堵して荷物をまとめ、パーキングへ向かう。 「あの子さ、男なんだって」
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