まだ遠いきみの近くで話す

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「永山!?」  すっとんきょう、ってこういう声なんだろうか。ひたすらにびっくりした大声で野矢に名前を呼ばれた。涙も鼻水も拭けてないしどうしよー! 恥ずかしくて野矢の方は見ないまま立ち上がる。 「いや……おれのお小遣い120円が吸い込まれたのがショックで」  誤魔化そうと思ってすげーケチくさいこと言った。120円でいちいちへたり込む男だと思われるやつ。いやでも高校生の120円よ!? 「吸い込まれた!? おつりは」 「出ない」  野矢は隣まで歩いてきて、おれの顔を見ずにティッシュを渡してくれて、何も気づかなかったみたいに自販機を眺める。おつりボタンを一回押してみてくれる。返ってこない。眉をひそめる野矢の目も、まだ少し涙で潤んでいる。  ティッシュくれたり、何も言わずにいてくれたり、そういうところがまだ、すごく好きです。期待してしまいます。野矢の優しさがおれに向いてる時間はずっと勘違いしていられるのに。 「何を買うつもりだったんだ。そもそも私が礼をする話だったと思い出して、来てみたら」 「カフェラテ」  めっちゃ鼻声なのも気づかないフリをしてくれる。 「今財布がない。吸い込まれた分もまとめてあとで渡すから、立て替えると思ってもう一度押してみてくれ」 「ん〜。じゃありがたく。別のボタンならいけるのかも。何がいい?」 「ん? 私から永山への礼を立て替えてくれというんだ」  悪いな、と言いながら、いつもの笑い方じゃん。  ああ、おれ、好きな人の助けになること、言えたのかな。また泣きそうで何も言えない。野矢に近づけたのかな。また浅ましい損得勘定をしちゃってるし。野矢のこと諦めたり希望を持ったりでおれは忙しいんだよ。  おれは泣きそうで何も言えないから、ただ120円を渡す。野矢は察してくれて、無難に温かいお茶のボタンを押す。……出てこない。おつりも……返ってこない。 「はぁ!? 高校の自販機にあるまじき!! お小遣い制の若人が集う学び舎にあるまじき自販機!!」  あまりの怒りに、涙も忘れてデカい声出す。 「高校でなくてもこれはまずいだろう。ひどい話だ。私から用務の方に伝えておくから」  悪かったな、戻ろう。野矢は追加でティッシュくれて、穏やかな声で先に屋内へ戻っていく。着いていく。  あとでたくさんありがとうって言おう。おれからもお礼って言ってなんか奢ってあげよ。そしたらまた話ができるから。  ほんとは最初から、手を握る権利が欲しかった。好きな人が悲しい顔をしてるときに、言葉をそろそろと重ねていくのではなくて、手を握って、おれが手を握ることが野矢にとって助けになるのであればどれほどいいだろうと思う。  恋人が欲しい。おれには恋人がいたことがないから、それはドラマや小説やマンガで見るような親密な関係への漠然とした憧れだった。「特別」になりたい、と言葉にしても、「特別」とはこういう場面でこれこれをしてもらうことだ、と説明してみても、霞をなぞっているような感じだった。ただ「好きだと言いたい」「好きだと言われたい」という衝動があって、それはちょっと粗野すぎるんじゃないの?とか思ってた。  手を握るだけで野矢の助けになれる存在になりたい。それはすごく清潔で、純粋で、倫理的な動機で、おれ自身の心から湧いてきたものなのだから嘘ではないのだし、いいな、と思った。  でもわかっている。おれは野矢の手を握った感触を知りたい。それも全く当然に、おれの心に、欲望として存在している。  そこに近づいたのか、遠ざかってしまったのかはわからなかった。
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