ぱちん、とひらいて

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ぱちん、とひらいて

 高校って、予備校の宣伝入りうちわを校門前で配ってもらえるんですね。おれの中学はド田舎すぎて無縁だったわ。最寄りの塾まで徒歩1時間だし。  バッサバッサあおいでもまだ暑い。エアコンは7月まで入らないルールらしい。5月でこんな暑いのに、そんなこと言われましてもね。バカげてる。この狂った世界を変えたい……!! とりあえず文部科学省を……  おや、野矢(のや)くん。髪型変えたのね。  東京の良家のお育ちですものね、宣伝うちわではなく黒の扇子を上品にあおぎながら、教室に入ってきたおれに軽く手を上げる。  野矢は、黒髪ロングヘア。今は肩の上あたりで切り揃えている。前髪は真ん中で分けて、白い肌に切れ長の目に細く通った鼻筋にって、もう和風美人の要素が揃っている。さらに華奢で、男子にしては声もずいぶん高い。まさに『お人形さん』。  だけど今日は前髪を横に流し、素朴なピンでまとめて留めている。  黒の……ぱっちんピン? なんていうの? 姉ちゃんが小学生くらいまで着けてたやつ。ピンクとかオレンジとかの、もっとかわいいやつを金属の缶カンにしまっててさ。  ふざけておれにも着けてきてさー。嫌がるのを無理やり着けてくるから刺さって痛いし。缶にしまってるから冷たいし。あれって今でも売ってんだ。 「あら。新しいアクセサリーが。おしゃれですこと」  いつもの友達と話してるし、邪魔するのもね、と雑なコメントだけにする。 「実用品だ。あまりにも涼しい。もうなくては生きられない。試せばわかる」 「ははあ……」 「今ほかに持ち合わせがない。ほら」  ぱっちんって外して、一回ちゃんと留め直してからおれに渡すお育ちのよさ。その割に珍しく雑に、ほれ、と渡される。落ちた前髪をどうするかで頭が一杯みたい。 「ふーん……」  おれも前髪はあるから、着けられるけど。着けますか。  前髪を一生懸命撫でつけて、ぱっちんって開いて、差し込んでみる。冷たくない。夏だから……。  じゃなくてこれ、野矢の体温か。  ぱっちん。 「似合ってるぞー」 「男前! 男前よ葉介(ようすけ)ちゃん!」  うるせぇ男どもに囃し立てられてるけど反応すんのがダルい。 「な? 恥を捨てろ。夏に降伏するんだ。涼しいだろう」  ニヤーッて大きく口を横に引いて、ピンを外した前髪は諦めて左手でかき上げて、野矢が笑う。 「あー。めっちゃ涼しい。降伏しようかな。捨てようかな、恥」  野矢すまん、涼しいかどうかは正直わからん。なんか……めっちゃ顔が熱い!!  おろおろしてんのバレてないよね? 声だって、いつものテキトーでガサツなおれの声だよね?  外して、返す。おれの指が、野矢の手のひらを一瞬かすめる。華奢だけど脂肪は乗ってない、男の手のひら。 「これって今でも売ってんだ〜!?」  焦って、とっさに浮かんだ質問をする。えっお揃いにしたいとかではない、ないですが、でも男で買うなら黒一択だし、必然的に、そういうことに、いやそういうことになってほしいとかではないのですが? 「知らない。母の化粧台からくすねた。もう一つ、くすねてきてやろうか?」  可笑しそうにくしゃっとした顔を見せる野矢の前髪に、おれが返したピンが留まっている。 「お母さんの!?」 「もっと今風のが売っているだろう。ほら、パールとか、ビジューとか、ベロアのリボンなんてのもいいな。カメオという手もある。どうだ。永山によく似合うだろうな」  ド田舎の高校生には難易度の高い単語がいくつか出てきたけど、冗談でファンシーなピンを提案されてるのはわかる。  でも「よく似合うだろう」ってさ……。  ジョークじゃなくて、野矢がおれに似合うと思うものってなんなんだろう。おれドの付く山奥からやっと地方都市の外れの高校まで出てきたとこだし、服とかわかんねぇし、教えてほしいから普通に一緒に買い物行ってほしいな〜。  なんて簡単なことが言えなくて、自室でひとり膝を抱えて泣いている、十五の夜。
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