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現在の日常
――土曜日の朝。
旦那の淹れるコーヒーの香りに鼻先をくすぐられながら、膝に座る子供の体温を感じる。悪くない気分だった。
この子はどのような人生を送るのだろうか。そんなことを考えていると、ネガティブとポジティブが交錯した挙げ句、哲学的になるのが日課だ。
程なくしてテーブルの上に1つだけ置かれたカップが、立ち昇る蒸気とは裏腹にその温度感を物語った。そのカップが私のためではないと分かるから。
旦那・ケンタと結婚したのは5年前になる。
今までの恋愛遍歴が嘘のように、燃え上がりもせず、かといって全く消えもせず、結婚という道へ最短距離で突き進んだ。
俗に言われる「タイミング」や「勢い」という要素、それらが申し分なかったのだろうと思う。
予め断っておくと、私はその道を選んだことを後悔していない。むしろ周囲の話を聞くに、客観的に見れば幸せなのだろうと感じている。
その時、膝の上の温もりがすっと離れて、パタパタとケンタの方へ向かって行く。少し涼しくなった膝を手で摩りながらその動向を目で追った。
「パパ、ほんよんでー」
「ごめんアカネ、今パパ、熱いもの飲んでて危ないから、後でね」
何よりも結婚を肯定的に感じさせてくれる存在は、この3歳の娘・アカネだ。ケンタと結婚していなかったらこの子に会えなかったのだと思うと、その全てを許せるとすら思える。
……でも、今のはちょっとな。
コーヒーなんて少し置いて、絵本のひとつくらい読んであげればいいのに。
子供というのはそういった状況の機微に鋭い。アカネはあっさりと踵を返すと私の方に駆け寄ってくる。
「ママ、ほんよんでー」
「いいよ、選んでおいで」
「やたー!」
ああ……可愛い。
どうしてこれを断ることが出来ようか。
要するにケンタは子煩悩という訳ではない。かといって無関心でもなく、初めてアカネが熱を出したときなんか、私ともども顔面蒼白だった。
基本的には仕事人間だから、常に子供を中心に考えられるほどの余裕がないだけなのだろう。働くということが、家族を養うということが、厳しいことだと私も理解しているつもりだ。
だから休みの日なんかは「電源が切れている」とでも形容すればいいのか、省エネモードに入ってしまい、今のように淡白な対応になりがちなのだ。
別にそれを咎める気もないし、ひどい対応をしているとも思わない。私だっているのだから、子供も寂しくはないだろうし。
だけど時折こんなことを考えてしまうのだ。
リョウマだったら、子供にどんな言葉を返したのだろう――。
そんな妄想に近い。ほんの少しの戯言を。
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