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恋
履修に関するアンケート用紙が配られ、各自記入の時間になった。聞き手だった学生たちは詰まった息を吐き出すように話し始めた。
「……書くもの持ってますか?」
私は気付けば自分からリョウマに話しかけていた。勝手な気を回して。
リョウマは鼻白んだ様子で返した。
「え……? 持ってないように、見えます?」
「いや……別に」
「え、あ! じゃあ、持ってなかったら、貸してくれますか?」
「まあ……うん」
「も、持ってません! 貸してくれ……ますか?」
リョウマは左手でペンケースを机の端に隠すようにずらしながら、右手を差し出してきた。
「はい、どうぞ」
私は自分から言い出したくせに面倒くさそうに、自分の持っている中で一番可愛らしいシャーペンを手渡した。
「ありがとうございます」
「あのさ……同じ1年しかいないんだし、敬語、いらなくない?」
「あ、そう……だね。なんか風格あったから、つい」
「風格ってなに?」
「いや……まさに、そういう感じ?」
私は自分がムスッとした顔付きだった事を自覚した。それを申し訳無さそうな笑顔で指摘してきたリョウマに、思わず吹き出してしまった。
「あ、笑ってると、そんなに『圧』感じないよ」
「いや『圧』なんて出してないし」
気付けばボケとツッコミみたいな会話が自然と成立していた。これが私から話しかけた結果なのだから不思議だったし、安心感があった。
「あの、俺、安城リョウマって言うんだ、名前訊いてもいい?」
「うん。私は、井上アンナ」
旧姓、懐かしい響き。
今や私も『喜田アンナ』になって久しい。当たり前だとは言え、井上のほうがしっくりくる。
「アンナ……って言うんだ」
感慨深そうに数度頷くリョウマに私は問いかける。
「変わってる?」
「いや、そんなんじゃなくて」
「じゃあなに」
「もし俺と結婚したら、『アンアン』だなって」
「はあ?」
突拍子もない事を言いだしたリョウマに、照れくささ半分、「俺変なこと言った?」みたいに飄々と首を傾げている姿に可愛さを半分、感じた。
これが不快じゃなかった時点で、もう恋なのだろう。
安城アンナ……アンアン。まあ、確かにね。
でもこの先、この名前が徐々に現実味を帯びていくのだ。
この出会いの一連の会話を、私は死ぬまで忘れないだろう。私とリョウマの道が交差したこの瞬間。何度思い出しても胸を熱く、そして苦しくさせると断言出来る。
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