さざなみ荘のふたりとひとり

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 私は父を知らない。物心ついたときには、母には何人かの“いいひと”がいた。  そしてそのうちの一人と母は再婚し、私を捨てた。  九歳の、夏だった。  私を引き取った祖母は、毎日のように呪いの言葉を吐き捨てた。男にすがってみっともない。そう母に。蛙の子は所詮蛙だ。そう私に。  だけど私は見てきた。そんな祖母が、男にすがっている姿を。  蛙の子は蛙。  ほんとうに。そうだった。  だから私も、いずれそうなるんだろう。母のように祖母のように、男にすがって生きて、惨めに死ぬんだろう。  それに、匠海を巻き込むわけにはいかない。  せっかく与えてもらった、安心して穏やかに暮らせる今を、捨てるわけにもいかない。真咲さんを裏切ることもしたくない。  私は、ここで、何も起きなくていいから、ただただ、生きていきたい。さざなみ荘を手伝って、時々近所のひとと談笑しながら、人生を終えたい。  だから、今、誰かと恋に落ちるわけにはいかない。  夏の日差しが、二の腕を焦がしていく。寒いわけでもないのに、私はそれを抱いてしゃがみこんだ。 「ごめん、匠海」  返事の代わりに、海だけがずっと同じ音を繰り返していた。    
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