さざなみ荘のふたりとひとり

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「一緒に住みたいというのなら、私としては正直に話したほうがいいと思うのだけれど」 「え、あ、そだね。うん、べつにいーよ。菫ちゃんなら」  真剣な声の真咲さんに対して、真雪さんの声は軽かった。アイスティーをストローで一気に啜っている。 「あのね、菫ちゃん、真雪は妹じゃないの」 「え、でもそんなとこって……」 「弟」 「……え?」 「身体は男なの」  はい? と思わず左隣の真雪さんをまじまじと見てしまう。彼女……いや彼? はアイスティーを飲みながらなぜかピースサインを私に見せる。  とてもきれいな顔立ちに、しっかりめのメイク。髪はさらさらの金髪ストレート。確かに服装はどっちとも言えずなモードな感じだけれど。  すっかり、女性だと思ってしまっていた。 「正確にはノンバイナリーってやつでさ、男でも女でもあるというか、性別がないっていうか」  知っている言葉だった。去年、高校で習ったところだ。身体の性に関係なく、性自認、性表現に男性女性の枠組みをあてはめない、というセクシュアリティー。  LGBTQ+のことを学んだときには、多様ってこういうことかと思ったとはいえ、まだまだ実感のわかなかった言葉。 「ねーちゃんが心配してるのはわかるよ。あたしは性別に捕らわれないってだけで、身体は男だし、中身に男の部分もあるわけだし」 「あ、あの」  そしてこういうとき、どういう反応をすべきなのか。どういう言葉を伝えるべきなのか。それは誰も教えてくれなかった。  それでも無反応ではいけない、気がした。 「もしかして失礼なこと言ったりしませんでしたか?」 「ん?」 「私、てっきり女性の方だと思いこんでしまって。勝手に妹さんだと決めつけて……その、傷つけたりしなかったかなって……」  なにが正しいかもわからない。もしかしたら更に失礼なだけかもしれない。  失礼しました、と頭を下げると、ズズーッというストローで吸う最後の音が鳴り響いた。 「うん、やっぱりあたしここに住むわ。いいでしょ、ねーちゃん」 「まだ菫ちゃんがいいとは言ってないでしょ」 「えー、ダメ? 菫ちゃん?」  え、と顔を上げる。真雪さんはとびっきりの笑顔でこちらを見ていた。眩しいぐらいに、きれいでいて、あっけらかんとしていた。 「最初にそうゆうこと言ったの、菫ちゃんが初めて」 「えっと……そう、なんですか」 「うん。あたし、あなたとなら一緒にやってける気がする」  ね、だからいいでしょ? と真雪さんは言う。やっぱり自由気ままというか、奔放というか。  正直なひと、なのかもしれない。 「あ、えっと私は、その、さっき言ったように、拒否する権利はないので……」  真雪さんのセクシュアリティーがなんであれ、家族が同居することに部外者の私がとやかく言えるわけもない。  そう思って「だから、いいです」と答えようとしたところで、今度は真咲さんの手が私に延びてきた。 「えっ、ま、真咲さん?」  爪が短く手入れされた柔らかい指が、私の鼻をつまむ。 「なんでそんなこと言うの。私、悲しいわよ」  そうだそうだーと横槍が入る。 「菫ちゃんだって家族でしょう?」  やさしい、声だった。  同時に、いやになるぐらい、寂しい言葉だった。  家族。私にとっての家族は、男にすがった母と、男にすがった祖母だ。  こんな、きれいで優しい人たちが、家族なわけがない。  鼻から指が離される。解放された鼻が、甘い匂いをかぎ取った。 「すみません……あの、でも私も、真雪さんが住みたいと言うのなら、異論はないです」  それはドーナツの香りなんだろうか。  それともこの人たちから香る、とてもいいものの香りなんだろうか。  わからない。わからいけれど、ここが今の私の居場所だから。 「じゃあ決まりね。わーい。どの部屋空いてるの?」 「あのね、民宿はもうやってないんだから」  そんな二人の会話を聞きながら、静かにアイスティーを啜る。砂糖の入ってないそれは、ちょうどいい具合に、苦かった。  
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