さざなみ荘のふたりとひとり

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「うーん」  お客さんも帰って片づけ始めたとき、真雪さんが私を睨むように見ていることに気づく。 「えっと……なんでしょうか」  調味料入れを整える手を止め聞く。 「似合ってない」 「え?」 「菫、その髪型と服、似合ってないよ」  真雪さんは二日目には「菫ちゃんじゃなくて菫って呼んでもいい?」と聞いてきたのでいいですと答えた。一緒に「あたしも真雪でいーよ」と言われたけれど、それは年上なので、と断っていた。 「えっと……似合ってない、ですか」  なぜか口角が上がってしまうような、なのに口の中が乾いていく感覚がしていた。なのにそうかもしれないです、と湿っぽい笑いが口からこぼれる。  ファストファッションで買ったTシャツに、すこし明るめのブルーのデニム。そんな自分を何気なく確認するふりをする。 「うん。ちょっとさ、あとで髪型だけでもやったげるよ」 「……切るのは、ちょっと」 「あ、切らない切らない。さすがにそこまでは勝手にやらないよ。すこし結び方変えるだけ」 「真雪、勝手なことしないのよ」  裏の部屋に行っていた真咲さんが言うと、真雪さんは「しないって」と手をひらひらと振った。 「やってみてダメだったら、やめたらいいしさ」  真雪さんはにかっと笑った。  低い位置で束ねただけの髪の毛を、思わず握ってしまう。  似合うとか、似合わないとか、二の次だった。ただこれでいいから、これだった。髪も、服も。  前とは違って、今はある程度自分で使えるお金はある。ヘアレンジだって動画を見て練習すればいいんだろう。  だけど。 「……わかりました」  私はそう答えた。 「よし、じゃあ準備してくるから待ってて」  真雪さんはぴょんと跳ねるように椅子から立ち上がり、二階へと消えていく。 「菫ちゃん、無理して真雪につきあうことないからね?」  再び片づけを再会した私に真咲さんが言う。「大丈夫です」と応えておく。  ふと、誰かに見た目のことを言われたのは初めてかもしれない、と気づいた。母のことはあまり覚えていないけれど、少なくとも祖母は私のそういうことに興味はなかった。どちらかというと「みっともない格好はするんじゃないよ」と顔をしかめていた記憶しかない。  真咲さんも、匠海も、言わない人だった。べつにそれで良かったのだけれど。  数分後、籠のような大きなポーチを持った真雪さんが下りてきた。食事スペースでするのはさすがに、ということで畑に面した和室に移動する。  開け放たれた履き出し窓窓に向かって座ると、真雪さんは私の後ろに膝立ちになった。  バニティケースというらしいポーチの中には、何種類化の櫛と鋏、ヘアゴムやヘアピンなどの小物、中身のわからない瓶やボトルがぎっしりと詰まっていた。 「触るよー」  そう言って髪を梳かしはじめる。細い指先が、うなじをかすめていく。 「まだ染めたことはない?」 「え? あ、はい。ないです」 「そっかー。きれいな色してる」  柔らかな手つきだった。毛先から始まり、だんだんと頭頂部に近づくその動きに引っかかりはない。 「でも毛先は傷んでるなー。ケアしてる?」 「えっと、一応、トリートメントは」 「お風呂で?」 「はい」 「アウトバストリートメントもしたほうがいいよ。あたしの使っていいし、乾かす前につけてみて」  誰かに髪の毛を梳かしてもらうのは、久しぶりだ。かろうじて、母がやってくれていたのは覚えている。  けれどそれは、痛かったから覚えているだけだ。からまった髪を力任せに梳こうとして、痛くて痛くて、いつもぎゅっと我慢していた。
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