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母が死んだと知った日、あれだけ呪詛の言葉を吐いていた祖母が泣いていた。
あんな子産まなければよかった。
男、男、男でみっともない。
私の顔を見ては、祖母は渋面を見せ。
自分のことぐらい自分でしな、と男の元へ出かけていく。
そんな祖母が、狭くてボロい和室で泣いていた。
私は母との少ない思い出の品を詰めていたクッキー缶を捨てた。母が恋人からもらった、有名な、青い缶。
それから二年後、祖母が死んだ。私は中学の卒業を控えていた。
実は祖母には疎遠になった息子がいたらしく、死んだ後の手続きはすべてその人がやってくれた。片づけはその人が手配した業者が来た。
私は、叔父という人から幾ばくかのお金をもらい、住む場所を無くすことになった。
そんなとき、現れたのが当時二十九歳の真咲さんだった。
遠縁だという彼女に声をかけられたとき、私に選択の余地はなかった。
そして今、私は東北の小さな島にいる。
数年前にようやく橋がかかったという、海と山しかない、小さな島だ。
真咲さんは橋がかかる前に元民宿だったさざなみ荘を買い、お昼だけ営業している食堂を一人でやっている。
私はその家の端っこの部屋に住み、学校が休みの日だけ手伝っている。それが、今の私にできる唯一の恩返しだ。
「いらっしゃい、匠海君」
真咲さんのやわらかい声が、入り口に向かって弾んでいった。
「どうも」
「菫ちゃん、匠海君にあれ渡して」
テーブルを片づけていた手を止め返事をすると、匠海が「終わってからでいいよ」と言った。額に汗が浮かんでいる。
時計を見れば午後二時。さざなみ荘の営業は大体それぐらいに終わる。大体なのは、真咲さんがそこまでこだわっていないせいだ。
観光客向けというわけではなく、ご近所さんが畑仕事や海の仕事を終えてふらっと立ち寄ってお昼ご飯を食べれる、そんな食堂がここさざなみ荘だ。
名前が民宿のときそのままなのも、地元の人に馴染みがあるから。それに真咲さんは民宿のご主人夫婦からここを買い、名前を残したかったそうだ。
匠海は空いていた椅子に腰掛け、落ち着かない様子でスマホを見始めた。
「何か約束でもあるの?」
他に客はもういなかったので、テーブルを拭きながら匠海に話しかける。
「え、いや、べつに」
匠海は近所に住む同級生で、同じ高校に通っている。真咲さんと匠海のお兄さんである勇海さんが仲良く、その縁で私との交流を命じられた、ちょっとかわいそうな奴だ。だって『都会から同い年の女の子が来る』と聞いて現れたのが私だったら、がっかりも甚だしいだろう。
それでも匠海が適度な距離を保って私に話しかけてきてくれたおかげで、この島での暮らしや高校にもなんとか慣れてきたから、そこは感謝してる。そのぶんの信頼度もある。
「菫ちゃん、洗い物はしとくしそれ終わったらもう上がって」
「わかりました」
すべてのテーブルを拭き終えると、待ちかまえていたように匠海が立ち上がって、椅子を整えるのを手伝ってくれた。
「ありがとう」
「うす」
おかげで四つしかないテーブルはすぐに片づいた。
私は布巾を片づけて、真咲さんが用意していたタッパーみっつを紙袋に入れる。それを持って匠海のところに戻ると、入り口に彼は立っていた。
「はい。今日は茄子の翡翠煮と春雨サラダと唐揚げ。茄子とサラダは冷やしといて」
「おう、ありがとう」
匠海のご両親は共働きで、時々真咲さんにお総菜を頼んでいた。匠海は簡単なものならできるらしいけれど、もっぱら魚料理ばかりで、妹と弟から不満が出るらしい。
丁寧に紙袋を受け取る手が、よく日に焼けていた。
去年、こちらに来たばかりのときは東北の夏の涼しさに感動したけれど、もう慣れたのかすっかり暑く感じるようになってしまった。日焼け止めも念入りに塗っているのに、以前より焼けているような気もする。
でも、前より随分と、呼吸がしやすくなった。
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