Ⅸ.胡蝶蘭

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 翌朝も、早くから逃げるように森戸家を出てしまった。楓は最後まで『余計なことしちゃった……?』と眉を下げていたけれど、彼女の厚意には感謝以外の言葉はなく、私は深く頭を垂れた。  見送りの代わりに伝言を頼むと、彼女は二つ返事で引き受けてくれた。『帰ったら“花よめ(おしごと)”頑張ろうね』と添えて、稚内を後にした。 「テンチョー、めっちゃ美味しかった。ご馳走さまでした!」  食べ終えてレジに回ると、財布に伸ばした手を制止される。「え、本当に?」と訊ねれば、テンチョーは「縁凪ちゃんは娘みたいなもんだから」と決め台詞でしたり顔を披露した。  祖母がいないときにはよくお世話をしてくれた良いおじさんだ。娘のようだと言われても満更ではない。 「ありがとう。次は年末かな。無事帰って来られたら」 「去年は海が荒れてたからなあ、今度は帰って来られるといいなあ。なあ、冴子さん」 「そうだねぇ。次の御節(おせち)は豪華だよ」  今度は、次は——そう綴る二人の温かい視線が注がれる。詳しく触れられることはなかったが、離婚したことを気に掛けてくれているのかもしれない。 「うん、ありがとう。馳走さまでした」  店を後にし、フェリーターミナルに着くまでの間、私は祖母の小さな体を擦った。曲がった背中から出っ張った骨に触れる度、鼻の奥がツンとした。 「おばあちゃん、ずっと元気でいてね」 「んふふ、大丈夫だよ。この前の健診でも誉められたさ」 「えっ、本当?病気とかない?」
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