Ⅸ.胡蝶蘭

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 彼は吉岡が熱をあげているインディーズバンドのボーカルで、以前ミンスタのオフ会で初対面を済ませていた。こっそりシベリアンハスキー、と喩えていた記憶とリンクさせると、愛らしい容姿とクールな印象はやはりよく当てはまる。  Tomoharuからの依頼は『花よめ=ena』と気づいてのものだったらしく、応募フォームには『enaさん』という単語が何度か綴られていた。 「お久しぶりです、enaさん。日枝(ひえ)智春(ともはる)といいます。改めて、」  宜しくお願いします。  短い単語で粛々と頭を垂れる。売りである高音と重低音を自在に操る声は、以前にも増して厚みを帯びていた。 「ご挨拶遅れました。カメラマンの八坂です。よろしくお願いします」 「どうも、よろしくお願いします」  ご案内します、と放った智春に続く。車内での言い合いが尾を引いているのか、八坂とは一度も目が合わなかった。  ……本当に、感じが悪い。 「智春さん。前はライブに行けなくてごめんなさい」  私は八坂を置いて走り、傘のなかを覗き込む。以前、予定が合わず無駄にしてしまったチケットの件は直接お詫びをしたい思っていたので、良い機会だった。 「大丈夫です。でも、次は是非」 「いいんですか。いま、すごく人気も出てらっしゃるって、」 「まぁ……他のメンバーが目立つので。……それより、傘よかったら入ってください。濡れてしまいます」
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