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しまった。智春を置いてゴングを鳴らしてしまったことに軽く頭を下げる。クライアントの前では抑制できていたはずが、久しぶりの依頼で感覚が鈍ってしまったらしい。
それとも、鬱憤が溜まっていたせいだろうか。
「すみません……っ、お見苦しいところを」
「いえ、全然。仲が良いんですね」
「よ、良くないです!」
——こちらもしまった。
ピクッと動いた八坂の眉が視界の端に映る。今日は極力黙っていた方が良いかもしれない。
「着替えの場所、ご案内しますね」
「「お願いします」」
私たちは背筋を伸ばし、厳かに佇む日枝の門を潜った。
┈••✼
大正ロマンの詰まった豪邸内は、和洋が喧嘩をせずに馴染んでいる。すでに準備を終えた私は、とある洋室のドレッサーの前で鏡のなかの自分を見つめていた。
鏡よ鏡——、と唱えたくなるほど綺麗な楕円が瞳の奥を写し出す。
約二ヶ月ぶりだからか、クリーニングを済ませたからか。同じドレスを纏っているはずなのにどこか違う。体に馴染む愛おしさは変わらず、しかし写し出される自分には何かが足りない。
「気のせい気のせい。ちゃんと可愛い。大丈夫」
違和感を取り払えずとも、依頼に答える準備はしっかり出来ている。呟いたあと、私はゆっくり深呼吸を済ませた。
「enaさん、お待たせしました」
廊下から聴こえる。智春の声だ。
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