Ⅸ.胡蝶蘭

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 握って智春に微笑むと、後ろから八坂の吐息が微かに聴こえる。  直後、カメラのシャッターが一つ落ちた。智春が呑んだ息に溶け込むその音は、私たちの背中を優しく押した。 「大丈夫。二人ともちゃんと……“夫婦”ですよ」  それは別に、八坂くんが言わなくても良かったけれど——。  気持ちを切り替えるように息を吐き、再び足を進める。智春の肩が上下するのが手に伝うと、彼は「ここです」と向きを変える。  障子に映る晴れ姿の薄いシルエットに、私たちは顔を見合せ頷いた。  ——ああ。なんだか本当に披露宴の“入場”みたいだ。 「引きます」  襖に手を掛けた八坂の声が床に落ちる。摩擦音が響くと、白いベッドの上からこちらを向いた小さな顔が、仮初めの夫婦を優しく迎えた。 「……すてきね」  柔く細められた瞳から落ちた滴は枕に溶け、吸入器に籠った白い息は、霜月の淡い雪のようだった。  ————……  しゃんとしたスーツを纏ったまま、玄関先で「本当に、ありがとうございました」と智春の腰が折れる。衣裳の入ったスーツケースから手を放し、私は同じ角度で腰を折った。 「こちらこそ。おばあ様に喜んでいただけて、本当にその、嬉しかったです」 「いえ……急な話だったのに、カメラマンさんにも無理を聞いてもらって、スナップの件も本当にすみません」  緊張が解けたからか、堰を切ったように流れ出る智春の声。さらに深く沈む彼の肩を、八坂は軽く押し上げた。
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