思い出に変わる時

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思い出に変わる時

 図書室の角で僕を待っていた先輩は先に立って歩き出した。僕たちは言葉を交わさなかったけれど、何となく空気がぎこちない。僕は先輩の後ろ姿に声を掛けた。 「先輩、高校合格おめでとうございます。僕誇らしいです。先輩が希望通りあの高校へ合格したのは、先輩の勉強の賜物ですから。」 すると先輩は屋上への階段を見上げながら呟いた。  「でも多分合格と引き換えに、俺は侑を失った。…だろ?侑の顔を見れば、どう考えてるのかなんて何となく分かるよ。元々好きになっちゃいけないって約束だったし、ルールを破ったのは俺だ。」 そう言って僕に振り返った先輩の顔は何処か寂しげだった。何て切り出して良いか分からなかった僕は、何処か安堵していた。 「やっぱり会えないとダメなんだな。」 そう強張った顔で独り言の様に呟く先輩に僕は言った。やっぱり黙っている事は卑怯な気がした。 「…先輩そうじゃないんです。僕好きな人が居るって言ったでしょ。僕は絶対気持ちが届かないって諦めていたけど、その、向こうも気持ちが一緒だったって分かって。だから先輩がどうって訳じゃないんです。 投げやりになってた僕に優しくしてくれて、寄り添ってくれて、話相手になってくれたの、その時の僕にはやっぱり必要だったと思うから、‥ありがとうございました。」 そう言って僕は深々とお辞儀をした。目の先に先輩の色の違う上履きが見える。もう直ぐ先輩もこの上履きを脱ぎ捨てて卒業してしまうんだ。それは何だか本当に寂しかった。  顔を上げると、先輩は僕をじっと見つめて黙りこくっていた。そして強張った声で言った。 「俺、今でも男か女かって言われたら、女子が好きなんだと思うんだ。でも侑は別物っていうか。他の誰にも代わりになんてならない。俺が初めて本気に恋した相手だったから。 片思いだったけど、侑に付け込んで一緒に楽しい時間も過ごしたよな。あれがまるっきり嘘の時間だったとは思いたくないよ。」 そう言って、痛いものでも飲み込んだかの様に笑った。  実際僕も先輩と過ごした時間は沢山笑ったし、気持ち良かったし、楽しかった。罪悪感はずっと持ってたけど、仮付き合いのスタートの頃に比べたら、ずっと先輩の事は好きになってた。もっと好きな翔ちゃんが居るってだけだ。 「…僕も先輩と過ごした時間は楽しかったですよ。普通に先輩の事好きでした。そうじゃなきゃ、キスやそれ以上は出来ないでしょ?でも僕はずっと先輩の事、身勝手に振り回してるって罪悪感があったんです。でもそれを感じている限り、僕と先輩はそれ以上の関係になれなかったのかも。ごめんなさい。」  僕たちは黙り込んだ。これ以上何を言っても先がないのだから意味は無い。先輩は急にクスッと笑うと、受験の間に伸ばした長めの髪を掻き上げた。こうして見ると急に大人びた様な気がする。 「謝る事ないよ。俺にしてみれば、恋する相手と実際付き合ってるのと変わらない時間、いや、もしかしたらそれ以上の濃密な経験が出来たんだから。‥ありがとうかな。」 そう言った先輩の声は少し震えている。僕は気づかないふりも出来ずに先輩をぎゅっと抱きしめると、さよならとひと言先輩の耳元で囁いて、一人廊下を戻って行った。 ごめんね、先輩。貴方の事好きだったよ。翔ちゃんの事がなければ、恋人になってたのかもしれない。ね、先輩。  
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