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変わらぬ日常
[おやすみ、侑。]
スマホの表示がそう告げると、僕は緩んでた口元を尖らせて天井を眺めた。…足りない。隣に住んで居るのに、翔ちゃんの顔を最後に見たのはいつだろう。
春休みの僕は部活も週に2~3回ある位で暇だったのに、一方の翔ちゃんは合宿だの、練習試合で遠征だのと忙しかった。強豪校あるあるなのか、練習試合も凄く遠くまで行くんだ。僕がチラッと見に行ける様な距離でも無い。
結局春休みは翔ちゃんも家に居ることが少なくて、そうこうするうちに新学期が始まってしまった。
しかもこんな愚痴を言えそうな相手が、慶太しか居ないのも詰んでいる。流石に付き合っている事を知ってる相手の弟に、夢想する様な事言えない。
部活の仲間は真っ当な中学生だから、僕の爛れた?特殊な話なんて絶対出来ない。でも一度経験してしまったものは知らなかった頃には戻れないよね。
僕は自分の唇を指で撫でて、毎日翔ちゃんがお休みのキスをしてくれたら良いのにと思った。でもきっとそれだけじゃ終われないのは、僕も翔ちゃんもよく分かってるんだ。だから会えないわけじゃ無いけど。…多分。
朝練のない時は家のチャイムを押してくる慶太に、僕は少し寝不足の眼差しを向けた。
「…朝から元気だね、慶太。」
鼻歌でも歌い出しそうな慶太は僕の方に顔を向けると、軽い足取りで歩き出した。
「そう?いや、朝練無かったからさ、その分ゆっくり眠れて元気だわー。」
大会近くならないと朝練が発生しない弓道部の僕には、週に何度か決まった様に朝練がある部活はしんどそうだ。慶太は偉いな。
そう思いながらも欠伸を噛み殺していると、慶太が不思議そうな顔で僕を見た。
「朝練もない侑が何でそんなに眠いわけ?勉強してたん?」
僕は首を振って、やっぱり込み上げる欠伸をしながら大きく深呼吸した。
「んーぅ。そうじゃないけど。…ね、翔ちゃんの部活って凄い忙しいよね。」
そう言う僕にニヤリとした慶太は、けれど同情めいた眼差しで僕を見て言った。
「そうだね。まぁ兄貴は高校生になってから、まともに家に居たためしがないよ。俺も顔を合わせるのって、夜遅くにチラッとだから。あれ見てると、スポーツで高校行くのは正解じゃない気がするな。ほら、兄貴はスポーツ推薦で行っただろ?色々大変なんじゃね?」
学校に近づいて、声を掛けてくる生徒が増えたのを感じながら、僕たちの話はそこで終わりになった。僕はスポーツ推薦で高校に入った翔ちゃんが、卒業後どんな進路を取るのかが今度は気になって来た。まぁ、結局それも高校の実績次第という事なんだろうか。
三年生になった僕は、他人事のように先の事を傍観できなくなっていた。五十嵐先輩の飛び抜けた進路は別物としても、僕も真剣に受験の事を考えないといけない。4月は先生達からのその手の話も多くて、何となく気ばかり焦る。
もし、翔ちゃんが来年高3ならば、迷う事なくあの強豪校を狙っていったのだけど。
クラス替えで少し手探りのクラスメイトを眺めながら、僕は教科書を用意していた。机の側に誰か立った気がして顔を上げると、そこには顔だけ知っている男子生徒が立っていた。
「…長谷部だろ?長谷部って二年生の温水慶太と仲良いの?」
いきなり慶太の事を聞いて来た男は、いかにも運動してます、陽キャですと言った感じの男だった。僕は少し眉を顰めて口を開いた。
「‥誰。名前知らないんだけど。」
すると、目を見開いた目の前のクラスメイトは慌てて弁解した。
「あ、ごめん!クラス一緒になった事無かったよな。俺、三澤。三澤宗。皆からは、タカシじゃなくてソウって呼ばれてる。だから宗って呼んで。いきなりごめん。あの、二葉高校行った温水先輩の事、長谷部知ってるん?」
僕はいきなり目の前の面識のないクラスメイトが翔ちゃんの事を聞いて来て、ますます眉を顰めた。何なの?一体。
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