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スプリング・ウォーター・タウンを訪れたのは、夏が始まったばかりの頃だった。
私が知っているのはその男の名前だけだ。この町の出身であるという、その男の。
「ああ、レスリーね」
どうしようもなく喉が渇いてきて、やむなく入った小さなレストランのウェイトレスがその名を口にした。私はハンカチで額の汗を拭いながら、女の顔を見上げた。赤毛の女で頭がふわふわと丸っこい形になっていた。1メートル離れていても、毛先が傷んでいるのが判った。
「知ってるのかい?」
「何度か顔は見かけたわよ。店に来たから」
「親しかった?」
「ただの客よ。無駄話なんかしなかったし。ただ、ときどき噂に上る人だったから、少し覚えてるだけよ」
「どんな顔かはっきり覚えてる?絵に描けるかな?特徴だけでもいいんだが」
「そんな細かいとこまで覚えてないわ」
女は鼻で笑う。
「噂は?どんな噂?」
「別に大したことじゃ。飲んでるときに名前が出るくらいよ。たまに東部訛りが出るとか、夜中に女と歩いてたとか、そんな下らないこと」
「一緒に歩いていた女が誰だか判るかい?」
「知らないわよ」
つまらなそうに女はそう言い、その場を離れた。
カウンターの内側にラジオがあるらしく、多少雑音の混じった音声が先ほどから聞こえていた。気圧配置が不安定で、急に強い雨が降るかもしれないと教えてくれる。
冷たい飲み物で喉を潤し、私は店を出た。
町の名とは裏腹に、まるきり乾いた田舎町だ。遠くでは黄色い砂ぼこりが、夏の風で巻き上げられている。
店前のポーチを降りて歩き出すと、背中に女が声をかけてきた。
振り向くと、柱に寄りかかるようにして、先ほどの赤毛の女が煙草を手にこちらを見ている。
女は慣れた手つきでマッチを擦ると、上手い具合に煙草に火をともした。
傷んだ赤毛が風で揺れる。
その様は妙に私の心をひきつけた。何というか、魅力的に見えた。
女は眩しそうに顔を上げると、煙草を挟んだ二本の指を口から放し、大きく息を吐いてから言った。
「あんた、消えた男を追いかけてどうするのさ?」
私は肩をすくめた。
「それが私の仕事なんだ」
女はしばらく、眩しそうに私の顔を眺めていた。
もちろん眩しいのは太陽で、私の顔ではないことは判っている。
私は女が何を言うのか待っていた。私の知りたいことを言ってくれるのかと少し期待した。
しかし、
「ご苦労なことね」
とだけ、女は言った。
私は多少がっかりし、それでも大方の予想通りだとも思って、空を見上げた。
青い空だった。
まるで雨など降りそうにもない。
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