抱きたい夜と、接吻されたい朝がある

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量産系の服装を着たアナウンサーなのかキャスターなのか、爽やかにトレンド情報を伝えている。正直、俺の流行りはタピオカで止まっている。 あいつ、いつまで出てこないねん。シャワーの音はとっくに止まっているはずなのに。 様子を見に行こうと風呂場に向かおうとすると、昨日見た通りの顔に仕上がった舞加が中から出てきた。 「あ、おはよー。シャワー浴びる?」 「おお」 「あ、ごめん。朝ごはん無いや」 「適当に途中で買うからええわ」 言い捨てるように素っ気ない返事をし、俺は浴室に入った。 顔からシャワーを浴びて、この胸のモヤモヤも湯と一緒に流れたらいいのに、なんて柄にもなくポエムのようなことを思った。 金曜日。予定通り親睦会という名の呑み会が菅本さん行きつけの居酒屋で決行された。 店長の小泉さんは40代後半で、明らかに人のよさそうな顔をしている。きっと若いころはモテただろう。欠点を上げるとするならば、パートの菅本さんに頭が上がらないところだ。 「やだー、店長それって奥さんに尻に敷かれてるー!」 子供の頃テレビドラマで観たり聞いたりした口調で店長の肩をバンバン叩いている菅本さん。さっきから深く開いた襟元からチラ見するブラ紐が、別の意味で気になっている。少し寄れているのは、そろそろ変え時と言うものではないんか。 「いえ、妻が元気なのは嬉しいですよ。もののけ姫でも、アシタカが良い村は女が元気だと言っていますし」 「ほら、優しすぎる。そういうとこですよー」 前後の会話を聞いていなかったので、どういうとこなのかは知らんが、会話が成り立っていないことは分かった。 ふと、菅本さんの横にスイがいることに気づいた。と思ったら、さっそく菅本さんの餌食になっている。菅本さんの腕が奴の肩に回っていた。逆セクハラか・・・と思いながら俺はトイレに立つ。 男女並んだトイレの前で、バイト生の助川美穂子が立っていることに気づいた。この子も入ったばかりだが、仕事覚えは坂上よりも良い。順番を待っているのかと思ったら、ハンカチで目元を抑えていることに気づいた。 「・・・助川?」 「・・・あ、青君」 赤い目をして、微笑んだ瞬間、助川の目から涙が零れるのを見てしまった。 「どしたん?酔った?気持ち悪い?」 「あ、ううん・・・ちょっと」 「・・・どした?」 「・・・菅本さんが」 私が気にし過ぎなんですが、と前置きをしてから、助川が口を開いた。 なんでも、先月別れた恋人のことが忘れられないそうだ。今、恋人がいるのか聞かれたので、正直にいない、と答えたところ、「若いのに恋愛をしないなんてもったいない」とあっという間に合コンを計画されそうになったと。 年はいっているがみんなどこそこかの社長だったりそれなりに役職がついていたり、金を持っているから大丈夫だ、と背中をバンバン叩かれたそうだ。 何が大丈夫やねん、自分と同世代の独身男を助川に合わせようとしたんか、と体が崩れそうになり、壁に手をついてため息をついた。なんだかここ最近、自分はため息ばかりついている気がする。 「正直に、前の彼氏が忘れられなくて、当分恋愛とか合コンとか、そんな気分になれませんって言ったら、バカじゃないのって。今頃そいつ、新しい女と・・・イチャイチャしてるって言われて。他に好きな人ができたって振られたからなんか妙にリアリティーがあって」 「ほんまに、あのオバはん・・・」 助川の目から零れ続ける涙で、手に持った品の良い柄のハンカチが目に見えて湿っていった。やっぱり俺はあの人が正直嫌いだ。 「お酒飲んでるからかな、感情ぐちゃぐちゃになっちゃって、逃げてきちゃいました」
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