1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ

 あれがリズのお父さん? お年のようだけど綺麗なヒトね、目元がそっくりだな、などと妖魔たちが囁く。その間にも、一礼し、壇上に立った彼はあたしたちに向き直り一礼。二人に向き合った。 「途中で泣いてしまったら元も子もないので、事前に手紙をしたためました」  そう前置きしてソルミル卿が封書を取り出す。広げ、読み出した。 「8年前、我が娘リズを送り出したその日より、私の毎日には後悔ばかりが付きまとっていた。かつての遠い祖先が怒りをかった渓谷のドラゴン、それへの贄。いくら本人の申し出といえど何故意固地になって反対しなかったのかと。だがそれができなかった」  読み上げる手紙に早速しわが寄る。彼の眼光は柔和な笑みを引っ込め、鋭く固いものに変わっていた。 「年々贄の娘を選出していたのは、私と言っても過言ではなかったのだから。暗い感情に染まり薄汚れた目に、この悪習を断ち切って見せると大見栄を切って見せた娘の姿がまぶしかった。こうなる前に、人並みの幸せを掴んでいればこんなことにはならなかっただろうか、とも思った。でもお前はお見合い結婚を嫌っていたからね。  果たして翌年、馬車はその年の娘ばかりでなく、風の精霊シルフィードを連れて帰ってきたではないか。彼女が、主の想いを尊重せんと、国王様にお目通りするまで誰にも触れさせなかった手紙の内容を私は今でも忘れない」 ”この文書を信じるか否かは貴殿の自由であり、これを読み上げた後の行動を選ぶのも貴殿の自由である。然しながら、これは私の思うところの全てであり、私の意志で書き記した” ”数百年来、この花嫁の儀は執り行われてきた。ほとんど惰性のように。慣習だというように……この度をもって、花嫁の受け入れを絶つ。もうこちらの方角に馬車を走らせる必要はない” “この言葉に対し誤解なきよう追記すると、ここ200年ほどの、孤児の乙女たちは贄として扱っていない。識字率も魔法も弱い彼女たちがどこでも生きていけるように手ほどきをし、送り出す養育の場として共に暮らした。それでも妖魔に怯え、恐怖に心が擦り切れた彼女たちは途中で逃げ出したり自殺してしまう。これがどんなに空しいことかお分かりだろうか” “よってこの花嫁の儀を断ち切るのがお互いのためだろうと判断し、このシルフィードにこの文書を持たせた” “尚、昨年いただいたリズという娘は、正式に、我が妻として渓谷に受け入れる” 「謁見ののち私は城を抜け出し、まだ街を見物していたシルフィードをつかまえ問いただした。リズは本当に生きているのか、私は彼女の父親なんだと。すると彼女は目を輝かせてこう言った」 ”あなたがあの子を育ててくれたのね! ! 彼女とても良い子よ! お菓子は美味しいし笑顔は可愛いわ。渓谷のみんな、リズのことが大好きよ!” 「その無垢な笑顔を前に、私は言うべき言葉が分からなかった。娘は贄としてこの世からいなくなっていない、立派に生きている。だが妖魔たちに魅入られてしまったと。  私の新たな苦悩の日々が始まった。そこのノエルは本来娘が行った年に行くはずだった乙女だ。少女だった彼女に開きかけた唇を何度噛んだことだろう。きみの慕っているお姉さんはきみの代わりに行ったんだよ、孤児のきみを庇ってここから出てしまったんだよ、本当に、なんできみじゃなかったんだろうね? ……外道になり果てた私は自己嫌悪と悔恨に苛まれた……眠りは浅く、とうとう執務にも影響が出始めたころ、夢を見た。娘の夢だ。暗闇のなかで娘の身体だけ柔らかな光を放っていた。 ”父様、私は元気です。渓谷での生活も最初はびっくりしたけれど、もう慣れたし、妖魔たちは良い意味で図鑑通りではないの” “ねえ、父様。私のこと忘れないでほしいけれど、私のために気を病まれるのはおやめになって? 私いま、幸せなのよ”  都合のいい夢だと思う。悔やむことにも懺悔にも疲れた自分が見せた夢だと。だがそんな自分勝手な夢でも、夢の中の彼女の笑顔が、あまりにも幸せそうだったから、」  パタ、と雫が紙上に落ちる。手紙はとっくにくしゃくしゃになり辛うじて紙の様相を保っているというような状態だ。そんな彼をノエルが号泣しながら見守っている。 「それでも伝承に刷り込まれた妖魔への意識はおいそれと変わらない。皺の数だけ重ねた年月のなかで、何か大切なものを失ったように思うよ。実のところ私はタバサ王女とノエル嬢と共に馬車に揺られている間だって迷っていた。私は今更一体どうしたいというのだろう、魔法でも一発お見舞いしたいのか、こうなってしまったことへの懺悔をしたいのか……  だがそんな鬱屈とした迷いも、きみたち二人を前にし消え去ってしまった――お前が信じた方を、私も信じよう。結婚おめでとう、リズ。スピカ殿、娘をよろしく頼みます」  頭を下げたソルミル卿を割れんばかりの拍手が包み込む。姉さんとスピカ竜と抱きしめ合うソルミル卿をさらに包み込んだ拍手と歓声はしばらく止まなかった。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!