七月

2/2
6人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ
「あー……でもなんでおれに言うわけ?」 「約束してただろ、『好きな人ができたら、報告する』って」  言われて、なんとなく思い出した。  中二になって藤田と一緒のクラスになった頃、なんかの流れでお互いに「だれかに恋する日が来るとは思えない」って話になった。おれはベタなラブコメマンガみたいなことでも無い限り女子に惚れることはないと思ってたし、藤田はそもそもあんまり女子と話せないヤツだったからだ。で、漫画家になるためには恋愛のことも勉強しなきゃいけないから、藤田がもし誰かを好きになる日が来たらジュースをおごるからどういう感じなのか教えてくれって言っていた。  とっくに忘れてた約束だったけど、生真面目な藤田はしっかり覚えてたみたいだ。 「へえ、初恋ってやつ?」 「そう」 「誰?」 「……それはどうでもいいだろ。おれの感情が聞きたいってことだろうし」  そこだけ急に恥ずかしがるのも藤田らしいから、深堀りはやめておいた。 「いつから?」 「レギュラーになったころだな。その子がめちゃくちゃ喜んでくれてさ」 「あー、うん」 「で、その子が笑ってるの見てたら、いきなり心臓がギューってなったんだよ」 「ほえー」  ほんとに恋したら心臓がギューってなるんだな。おれにはたぶん一生わからない感覚だろう。そんな、なんでもない理由で人を好きになるなんてありえないし。 「ありがとう、マンガに使えるわ。ジュースおごる約束だったっけ?」 「あー、いいよ。もうおごってもらったし」  言って、藤田はジュースを飲み干した。 「でもすごいな。レギュラーになって初恋までしちゃって。最高じゃん」 「でも告白とかしようとは思ってないんだよ」 「なんで?」 「だっておれだぜ? 迷惑だろ」 「しょうもないこと言うなよ、藤田コノヤロー」  自分のことなんも分かってないなって、なんかムカついた。藤田が恋した女子におれが藤田の魅力をプレゼンしたいくらいだ。 「だれかに相談すれば? 女子に女子の気持ちを聞いてみたりさ。おれはそういうの分からないから無理だけど」 「でも女子でしゃべれる人ってあんまりいないからなあ」 「清水に聞いてみるとか。それか山中に占ってもらえば?」 「あー、たしかに占いはいいかも」  いいわけねえだろって思ったけど、黙っておく。 「まあ、がんばれよ」 「ありがとな」 「その代わりぜんぶ聞かせろよ。マンガのために知りたいから」 「分かった」  藤田が決意すると、タイミングよく五時半を伝える町内放送が聞こえてきた。 「じゃあ、ジュースありがとな」 「うん。またな」  帰っていく藤田を見ながら、ふと親に塾の夏期講習に行けって言われてたのを思い出した。  イヤだったけど、なんかやらなきゃな。夏期講習は二週間で、それくらいは我慢もできるし、さすがに環境を変えたらなにか面白いことが起きるかもしれない。上手いこといったらマンガみたいなラブコメ展開があって恋に落ちるなんてこともあるかもしれない。  とにかくなんでもいい。なんか起きるだろ。  めんどくさいけど、夏期講習に行ってみるか。
/11ページ

最初のコメントを投稿しよう!