失われた歌声

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失われた歌声

 昼下がりに組み立て式テントの外で冷めた珈琲を啜りながら衛星間ラジオを聴いていると、不意にぽつ、と冷たい雨が鼻先に落ちてきた。  鼻の頭を手の甲で拭いながら空を見上げると、薄い灰色に曇っていた空はいつの間にかどろどろと厚い雨雲をまとっていた。  俺は、げ、雨かと心の中で舌打ちをした。通りで傷が痛むわけだ。 顔の左半分を隠すように伸ばした前髪ごと、ケロイドに覆われた顔を手のひらで押さえつける。これで痛みが和らぐわけじゃないが、多少の気休めにはなる。  顔の半分と胸から腹にかけて、それから背中全体を醜く覆う真っ赤な火傷痕は、数年前にここではない星で負ったものだが、今でも雨の日にはじくじくと皮膚が引き攣るようにしつこく疼く。  少し遅れて衛星間ラジオから、第七衛星の一部地域に雨の予報、という天気予報が届いた。 「遅ぇよ……」  俺は小さくぼやきながらラジオの電源を切り、痛みをこらえてよっこらしょと立ち上がった。テントの入り口にかけた木製のプレートを「OPEN」から「CLOSE」にひっくり返す。  そしてそのまま雨が止むまでひと眠りするかと腰を屈めてテントの中に入ろうとすると、背後から「おーい」と人が叫ぶ声が聞こえた。  振り返ると、さらさらと視界を白く煙らせる霧雨の向こうから、少年じみた華奢な体格の若い男が走ってくるのが見えた。細い首からぶら下げた写真機を大事そうに雨から庇いながら、白い砂の上にできた水たまりをばしゃばしゃと跳ね上げている。 「悪いが、もう店は閉めたぞ」  俺は目の前ではぁはぁと息を切らしている若い男に向かって言う。  すると若い男はきょろきょろと周囲を見渡したあとにテントに視線を向け「ここ、お店なの?」と戸惑ったように尋ねてきた。 「そうだよ。お前、この星に来たばっかりか」 「うん。今日流されてきた」  若い男は素直にうなずく。ぱさりと揺れた髪から水滴が滴った。俺はテントの中から傘を二つ取り出し、そのうちの一本を手渡した。若い男は丁寧に礼を述べて透明なそれを差す。 「この星じゃ家って言ったらだいたいこんな組み立て式のテントばっかりだ。ここに流される時に皆持たされるはずなんだが、お前は持ってないのか」  自分も傘を差しながら問うと、若い男は困ったように眉を下げた。 「ここに来るときに持たされたのは、この写真機だけだったよ。あとは何も知らないしわからない。ここがどういう星かっていうのは、事前に教えられていたけど」  俺は少し考え込んだあと、彼に型番と製造番号を尋ねた。彼はかすかに微笑みながら答える。 「僕は汎用クローンのイルマ型三四五〇。あなたは?」 「俺は芸能用クローンのジグ型一〇二三。ここがどういうとこか知ってるっていうなら話は早い。なかにはまだ捨てられたことを受け入れられねえって奴もそれなりにいるからな」  ここは母星である惑星レイウから最も離れた位置にある第七衛星。母星から一番離れているだけあって、他の衛星と違ってほとんど未開拓のまま手が付けられていない星だ。  生活基盤は最低限。かろうじてあちこちに水は出るがガスはなく、月に一度、母星から最低限の食料と生活物資が配給されるだけだ。おまけに住民のほとんどがこの星に降り立つ前に持たされたテント住まいだが、苦情が出ることはほとんどない。なぜならここに住む者達は、皆役目を終えて死を待つだけのクローンだからだ。  寿命が近い者。何らかの原因によって働けなくなった者。それから仕事自体を他のクローンに取って代わられた者。ここに来た理由はさまざまだが、行き着く先は皆同じ焼却炉だ。  最果ての星。死にゆくクローンの終の住処。そこで俺は小さな軽食屋を営んでいる。  メニューは毎朝自分が飲むついでに保温容器いっぱいに淹れておいた珈琲の作り置きと、客の好みによって作るパンケーキやサンドイッチといった数種類の食事だけ。  第七衛星は雨が多いおかげで雨宿りの場として客は時折入るが、常連などは皆無に等しい。 「芸能用ってことは、あなたは歌とか踊りができるの?」  イルマ型と名乗った若い男は興味津々といった様子で俺を見つめてきた。左の顔を覆う火傷の痕を見られているような気がして、俺は思わず視線を避けるように顔を逸らした。 「……ジグでいい。昔は歌を専門にしてたが、今はただの軽食屋だ。それよりお前、行く当てはあるのか。テントもないんだろ」  俺がぶっきらぼうな口調でそう尋ねると、イルマは再びへにゃりと眉を下げて困った顔をする。どうやら行く当てもなさそうだ。俺はがしがしと頭を掻き、雨に濡れた捨て犬のような顔をしてこちらを見ているイルマを眺めてため息をついた。 「……一晩だけ宿を貸してやる。このままずぶ濡れで追い出すのも寝覚めが悪いしな。ただし妙な真似しやがったら蹴り出すぞ」  すると見る見るうちにイルマの表情が明るくなり、ぱっと花が咲いたような笑顔になった。 「ありがとう。悪いことはしないから安心して」  きらきらした大きな瞳に柔らかな頬。幼い口元。笑うとまるっきり子どものようだ。  俺がテントに入るように促すと、イルマは恭しい手付きで傘を畳んで外に立てかけてから、慎重な足取りでこわごわ中に足を踏み入れた。  そしてテントの中央に置かれた調理台や、真上に吊るされた真鍮製の小さなランプ、この星の住民が作った手織りの赤い絨毯などを無邪気に眺めまわし、感心したようにほうっと息を吐く。
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