失われた歌声

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「すごい。本当に、ちゃんと家みたい。いいお店だね」  俺は少し笑って乾いたタオルを投げてよこした。イルマは最初に写真機についた雨粒を丁寧に拭き取ったあと、今度はわしわしとだいぶ大雑把に全身を拭った。傘や写真機といった身の回りの物は丁重に扱うのに対して、自分の扱いは意外と大まからしい。 「ちゃんと拭けよ。風邪引くだろ」  するとイルマは一瞬きょとんとした顔で俺を見つめ、何がおかしいのか声を立てて笑った。 「ありがとう。ジグは優しいね。僕、今までそんなこと言われたことないや」  俺は照れ臭いやら、このイルマの今までの境遇を痛ましく思うやらで、ふいと顔を背ける。 「……クローン同士ならそれくらい普通に言うだろ。俺が特別優しいわけじゃない」  俺が調理台の前にあぐらを掻くと、イルマもそれに倣って膝を抱えて座る。 「……珈琲飲むか?」  朝に淹れた作り置きの入った保温容器を見せると、イルマは嬉しそうに顔を綻ばせた。 「一杯もらおうかな。一度飲んでみたかったんだ」  俺は保温容器からとくとくと白いカップに湯気を立てる珈琲を注ぎ、イルマの前に置く。  イルマは大切そうにカップを両手で受け取ると、ふうふうと黒い水面に息を吹きかけた。深めに炒られた豆の香ばしい匂いがあたりに立ち込める。 「この星はよく雨が降るの?」  イルマはぱらぱらとテントを叩く雨音に耳を澄ませながらそう尋ねる。 「三日に一度は降る。巷じゃ雨の星って呼ばれてるらしい。それがどうかしたか」 「僕のところはあんまり雨が降らなかったから、ちょっとわくわくする」  イルマは雨をさえぎる厚い布に触れながら、子どものようにきらきらと目を輝かせている。  俺は「慣れればすぐに嫌になるぜ」と笑った。 「お前らイルマ型の出身はどこなんだ」  俺は自分の分の珈琲をカップに注ぎながら問う。 「第一衛星。ここらの衛星の中じゃ一番栄えてるんじゃないかな。ジグは?」  第一衛星か。俺も昔仕事で何度か訪れたことがある。母星に勝るとも劣らない発展ぶりで、特に汎用クローンの生産が盛んな星だ。街中のいたるところで同じ顔のクローンがあくせく働いていて、初めて見た時は薄気味悪く感じたのをよく覚えている。 「俺は第四衛星。のどかなところだよ」  第四衛星は昔ながらの草原や湖といった風景が残る素朴な星で、他の星の忙しない暮らしぶりに疲れた人間がよく移住してくる。多少不便ではあるが、避暑地としての人気も高い。 「第四衛星。僕も何度か行ったことあるよ。たしか芸能用クローンの有名な産地だとか」  イルマは生真面目な表情で頭の中の記憶を一つ一つなぞるようにうなずいた。そしてふと思い出したというように顔をあげ、好奇心に満ちた眼差しで俺を見つめる。 「ねえ、芸能用クローンは生まれてから仕事をするまでに修行がいるって本当?」  ああ、と俺は自分の珈琲を口に運びながら軽く笑った。 「本当だよ。音楽は持って生まれた知識だけじゃ身に付かないからな。俺も生まれてすぐの頃は故郷をあちこち巡って修行してた」  ある時は学校に招かれて子供たちに歌を教えたり、またある時は人が多く行き交う街中で流行りの歌や古くから伝わる民謡を歌ったり。一人きりの旅路は辛いことも多かったが、楽しかった。
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