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「ただいま」
【おかえりなさいませ。今週は遅いご帰宅が続いておりますね。職場のタイムカード記録を参照すると、今月の残業時間は前月比+15.5%です。睡眠不足による作業効率の低下が見られますね。睡眠導入剤の処方を希望される場合は『YES』希望されない場合は――】
わたしは不愛想に「いらない」と言い捨てて、窮屈な靴から逃れるように足をブルブルと、濡れた犬の様に震わせた。右足と左足が、それぞれ玄関の端と端に飛んでいく。疲労はわたしを大人しくさせてくれればいいのに、荒っぽくさせた。苛々して、何かを無性に乱暴に扱いたくさせた。それもきっと、MY ROADが言うように睡眠不足による弊害の一つなのだろう。
【ご夕食はお済みですか?】
「まだ」
【そうですか。それでは、もう遅い時間ですので軽めのメニューにいたしましょう。夜食C-1パックと――「食欲無いから、要らない」
わたしの八つ当たりに、MY ROADは少し黙る。勿論気分を害したからではない。わたしの腕時計に付いているバイタル測定器と通信を行い、適切な対応を割り出しているだけなのだろう。どういう結果が導き出されるのかは、何となく想像がついた。MY ROADは優しい声色になり、ゆっくり諭すように話しかけてくる。
【そうなのですね。とても、お疲れなのですね。それでは温かいお白湯だけでもいかがですか?リラックスして、今夜はゆっくりお休みください】
「はいはい」とわたしは適当な返事をして、顔を洗うことも着替えることもなく、1Kの部屋の真ん中にべたりと座り込む。そして少し型の古いノートパソコンを開くと、開きっぱなしのテキストファイルを眺めた。……まだ3万文字を超えたばかりである。応募要項の最低10万文字には遥か遠い。締め切りまでに間に合うだろうか?
MY ROADが四角く無機質な顔で、呆れたようにわたしを見ている。ただの白い箱であるが故に、それは見る者の想像力を逞しく働かせるのだ。
【本日はゆっくりお休みください】
MY ROADは先程と同じことをもう一度繰り返した。
「まだ寝ないよ。時間が無いんだ」
【最近ずっと、その調子ですね。お身体を壊してしまいますよ。あなたの健康より大事なものなどありません】
「MY ROADには分からないかもしれないけど、もっと大事なものがあるんだよ」
【それは“ファンタジー小説新人賞”のことですね】
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