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休憩室に入るや否や、前を歩いていた紅鳶が振り返った。
ガタン、という物音がアオキの背中側から響く。
気づけば従業員用のロッカーと紅鳶の間に挟まれていた。
「あ…す、すみません」
自分がフラついてしまったのだと勘違いしたアオキは咄嗟に謝るとその場から離れようとする。
ところがロッカーにダン、と撃ちつけられた紅鳶の腕によって阻止されてしまった。
アオキはビクッとして紅鳶を見上げる。
すると、先ほど見た険悪な眼差しが今度はしっかりとアオキに向けられていた。
「なぜあんなことをした」
冷たい声が針のように突き刺さってくる。
アオキに対して怒っているのがひしひしと伝わってくる言い方だ。
ショックだった。
紅鳶はアオキにとって特別な存在だ。
この店で一番人気のウェイター紅鳶。
その美貌と立ち振る舞いから多くのファンがいて、彼の心を射止めようとするものはあとをたたない。
アオキもその内の一人であり、憧れの紅鳶に声をかけてもらえるだけで…いや遠くから姿を見ているだけでも幸せだった。
ところが千年に一度くらいの奇跡が起こり、出来損ないのアオキにこっそり個人研修をしてもらえることになった。
指導者と生徒という関係といえど、最近は少し距離が縮まってきたような気がしていたのに…
いつかアオキが一人前のウェイトレスになったら胸を張って気持ちを伝えようと思っていたのに…
そんな淡い想いは、冷たい表情でこちらを見ている紅鳶の前で瞬く間にバラバラになっていく。
「答えろ」
ショックで言葉を失っているアオキに、紅鳶は更に詰め寄ってきた。
「…っ、…っあの…俺…」
アオキは胸の前で拳を握りしめた。
ショックで頭が真っ白になっている。
何をどう言えば関係をもちなおすことができるか懸命に考えるが、全く言葉が浮かんでこない。
ただ、子どものような駄々だけが次から次にわきあがってくる。
これ以上冷たい目で見ないで。
これ以上冷たい口調で責めないで。
アオキは心の中で叫びながら口を開いた。
「すみませんっ…すぐにここを出て行きますから…っ!!」
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