降らせてみせよ、琵琶法師

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 それからたった数日後、靖一は噂を聞きつけた貴族の元へと呼ばれた。「靖一の語る伝承は旅をした気分になれる」と民衆の間で評判になっており、それを聞いた貴族が病弱な娘のためにと呼びつけたのだった。すっかり親心の康成はその貴族の家の庭の隅まで共に参じていた。  「それでは、哀しき恋の語りを」  「うむ。聞かせてみせよ」  よく晴れて心地好い庭の地に座り深々と頭を垂れた靖一は、貴族の言葉で面を上げ琵琶を構える。大きく息を吸って語り始める。語りに入った靖一は緊張のの字も知らぬ様で、隅で聞いている康成の方が寧ろ指先を震わせていた。  「今は昔、北の北のその先に、そは麗しき巫女ありて――」  琵琶の弾きながら靖一が姫に語るのは、北国の小さな部落で口伝されていた、雨乞いの生贄になった巫女と水神様と呼ばれた龍との悲しい恋物語だ。  ある旱の年、巫女に選ばれた少女は雨乞いのため何日も何日も水神様の住まうという湖沼へ参り、祈りを捧げた。湖沼の奥底で眠っていた龍は巫女の祈りの声で目を覚まし、その美しさに心奪われていた。龍は湖沼の奥底から巫女へ何故祈るのかと語りかける。靖一はできるだけ低く威厳のある声を出す。  「汝、何故(なにゆえ)我に祈るや」  巫女は驚いて辺りを見渡すが、見張りの男衆には聞こえていないようだった。巫女は水神様が祈りに応えてくださったと思い、村が旱であること、このまま雨が降らない日が続くと作物が枯れてしまうこと、そうなったら村の者が全員死んでしまうことを話し、雨を降らせて欲しいと嘆願する。靖一は今度はできうる限り女子(おなご)のような声を出す。  「我らの村はこのほどいみじき旱なれば、かくて雨の降らぬ日が続かば作物枯れ、村の者が皆死にぬ。いかでか雨を降らせたまえられぬや」  今度は龍が驚き困惑した。村では水神様と呼ばれているその者、実のところ神は神でもほとんど力を持たぬ末席の神であった。茶碗ほどの水であればともかく、雨を降らせるなど、そのような大仕事はできなかった。靖一はまた低い声を出して龍の語りを歌う。  「麗しき人、我、汝の願いを叶えられば如何ほど良かりけむや。されど、我にはさる大いなる力あらず」  叶えたいけれどその力がない。そう聞かされた巫女は崩れ落ちた。見張りの男衆が祈りを続けるようにと迫る。巫女は男衆には水神様の声が聞こえないのだと思い出し慌てて祈りを再開する。  靖一は再び龍として語る。龍には湖沼の水位を維持することさえ危ういほどの力しかなかったが、自然と次の雨が降るまでの間に作物に必要な量の水くらいは汲まれても湖沼が枯れることはないだろう。龍は村の皆で湖沼の水を汲んでいくことを勧める。  「我が力にはこのかたの水を維持するも危ふけれど、雨の降るまでに要る分ほどならば汲みゆかるとも保たむ。皆で汲みゆきたまへ」  巫女はその日の祈りを終えると村に戻って村長に水神様の言葉としてその旨を伝えた。しかし、村長は目を吊り上げ巫女の頬を打って怒鳴った。靖一は老人のように掠れさせた声を張り上げる。  「死ぬまじければと言ひて、さる偽りを吐くなど何事ぞ!」  死にたくない故の嘘を吐いたと思われ、まともに取り合ってもらえず、巫女は乱暴に牢に閉じ込められてしまった。  翌日も翌々日も、湖沼へ参り祈る巫女に、龍は何故いつまでも水を汲まずに祈っているのかと問いかけた。  「何故(なにゆえ)水を汲まずや」  「嗚呼、水神様……皆我が言の葉いつわりと思えるなり」  巫女が嘘だと思われているのだと嘆くと龍は巫女を憐れに思い、より愛しく感じた。何とかしてやりたいと考えたが、龍は顔だけさえ湖沼から出すことができないでいた。せめて他の者にも声が聞こえたらと願うのに、どれだけ試しても龍の声は巫女にしか届かなかった。  幾日か言葉を交わすうち、龍は憐れな巫女を愛し、巫女もまた己を憐れんでくれる唯一の存在である龍に惹かれていた。  しかし、遂に祈りは定められた最後の日となる。その日はいつもより多くの男衆が巫女の周りに立っていた。彼らの手には(つるぎ)が握られている。巫女は最後の祈りを捧げる。  「水神様、水神様……いかでか雨を降らせたまえられぬや……」  言い終わるが早いか否か、巫女は男衆の持つ(つるぎ)に貫かれ、そのまま湖沼へと落ちていった。龍は沈んできた巫女に顔を寄せて声を震わせた。死ぬな、愛しい娘よ置いていくな。靖一は本当に恋人を亡くしたかの如く泣き叫んで見せた。  「な死にそ!……らうたき娘よ、我を置きてな逝きそ……!」  泣く龍に反して巫女は泣き叫ぶ龍の顔を両手で包み微笑んだ。実のところ、巫女は最期に心を通わせる相手ができたことを幸福だと感じていた。最後の力を振り絞って龍に口づけた巫女は、そのまま水底で息を引き取った。  龍は大層嘆き悲しんで巫女の亡骸をその長い体で包むように抱きしめながら泣く。すると、辺りは龍の悲しみに共鳴するように雷雨となった。靖一が琵琶を激しく弾くことで雨を表現するのに合わせたように遠くで雷が光った。  ――ぽつ。ぽつぽつぽつ。  すぐに雨が降り始め、あっという間に雨足は強くなり、靖一たちは慌てて撤退させられた。康成の着物の袖を握り、雨を凌げるところまで足早に移動する。肌を寄せ体温を分け合いながら雨が止むのを待つ。  「まるで我が降らせたようであったな」  そんな力はないし全くの偶然だからこそ笑いながら言った靖一だったが、康成は何やら考え込んで暫し黙った。  「……そう思われたら厄介だぞ。話の中の巫女のような扱いを受けるかも知れぬ」  「まさか。我にそんな力がある訳がなかろう」  杞憂ならいいが。康成は心配げに眉を下げて靖一の頭をぽんと撫でたが、靖一は不思議そうに首を傾げた。
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