降らせてみせよ、琵琶法師

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 時は平安、盲目の琵琶法師靖一(やすいち)は、地域ごとの伝承を聞いてはそれを歌にしながら各地を渡り歩いていた。  最初は琵琶の師匠でもある母と、農家の父と共に暮らしていたが、(とお)になる頃にはもう靖一はひとりだった。暫くは村の者たちが面倒も見てくれていたが、次第に申し訳の無さが募り、旅に出ることにした。  それから毎日少しずつ歩いては琵琶を弾き、時折食べ物を分けてもらいながら、靖一は伝承から伝承へと南を目指して渡り歩いた。  靖一が京に着いたのはもう十五になろうという頃だった。今まで聞いたことのない雑踏の音に、人々の話し声の密度。目が見えなくとも京に入ったのだとよくわかった。  「お前、京は初めてか」  音と気配の多さに圧倒されて立ち止まっていた靖一に、すぐ側から声をかける老齢な者があった。靖一は気配のなかったそれに驚いて飛び跳ねる。大袈裟に驚いた様子が可笑しかったのか、その者はくつくつと喉を鳴らして笑った。  「だ、誰ぞ」  「我は康成(やすなり)だ。お前と同じ、目の見えぬ琵琶法師よ」  「……見えぬなら、なぜ我が琵琶法師だと」  動揺を隠しもせず尋ねる靖一に、康成は笑いながら名乗った。盲目と聞いた靖一が不思議がって尋ねると、康成はまた笑って答える。靖一の素直な反応が愛らしく思えた。  「若造にはまだ判らんかも知れぬがな、見えずとも見えるのだ。目の前の者がどういう形をしておるか、何を持っているか」  そういうものか。己ももっと生きればわかるだろうか。素直に納得した靖一の頭を、ぽんとひとつ撫でた康成は穏やかに頬を緩ませた。  「お前、名は」  「靖一」  「おお、同じが付くか。よき縁だ、お前が京にある間は世話してやろう」  靖一は正直、盲目同士で世話も何もあるものかと思ったが、縁を捨てる道理もなかろうと康成の世話になることにした。  康成は随分と京に詳しく、歩く速さこそ靖一に合わせて遅くしているものの、京を迷わず進んでいく。なるほど、気まぐれに世話を買って出るだけはある。かつての父親の頼もしさを思い出し、靖一は掴んでいる康成の着物の袖を握り込んだ。  康成に勧められた場所に座り込み、来る日も来る日も靖一は琵琶を弾く。北の端から京に来るまでに聞いた伝承を、日にひとつずつ語っては、時折食べ物を分けてもらっていた。  「日々思うが、靖一の歌は変わっておるな」  「京では琵琶法師の語りはお経でなければならぬか」  「……否。お経でなく語りをするは他にもあるが、お前のそれは耳馴染みのない語りが多いという話だ。我も皆も好ましく思っている故、安心したまえ」  「そうか……」  康成と靖一が出会い共に過ごし始めてから、そろそろひと月が経とうと言う頃に、今更ながら康成が靖一の歌へ言及した。康成をはじめ、お経を琵琶の音色に乗せる者が多い中、靖一は一切お経を唱えず、各地の伝承を歌っていた。実のところ、靖一は琵琶法師の格好はしているが、僧侶ではない。お経など頼まれても歌えなかった。  このひと月で康成を過分に慕っていた靖一は、康成から肯定的な反応をもらえたことに安堵した。康成もまた、子と言うにも年の離れている靖一がそれに安堵する様子に満足げに頷く。
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