追いかけ再生

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彼には若い頃から途切れることの無い日課があった。 それは日記をつけることだった。 社会人になってからも根強く続けられていた。 それは一日の終わり、就寝前に行われた。その日起こった出来事を反芻するために、幾許かの時間が確保される。そう、その反芻タイムは、一度見た映画の追いかけ再生にどこか似ていた。主人公はあくまで自分。というか自分以外の適任者なんておそらくいないだろう。 でもここ最近は平凡すぎて、スムーズに追いかけ再生ができない日々が続いていた。まるで毎日が同じような日々の繰り返し、そんな感覚が彼の頭をかすめる。 それでも彼はめげることがなかった。それなりのとっかかりを得るまで追いかけ再生を何度も試みる。どんなに平凡な日常にも、何らかの人生の機微が潜んでいるものなのだ。どんなにささいなことでもいい、"小さな特別"を再認識するための地道な作業。 彼にとってはどんなに平凡な日常でさえも、二度とは戻ってこない貴重な一日なのだ。それは海岸に絶え間なく打ち寄せる波に、同じ波形が決して存在することのないことを彷彿とさせた。人並みな、でも自分にしかない人生の一波一波を日記に刻む。 例えば帰宅直後にいつもすり寄ってくる飼い猫がにゃあと鳴く『おかえり』の響きが、いつもとはどこか違うトーンに聞こえるような時に。スマートフォンの音楽アプリでランダム再生している時にふと流れた曲に、我を忘れて聴き入るような時に。そんな何気ない瞬間にも日々の機微は隠れている。 日記に残していれば、あとから何度でも追いかけ再生することが可能になる。大抵のことは記憶のとっかかりとなってくれるはずだから。まだまだ先の長い人生途上。日記で過去を振り返ってほくそ笑み、何か思うところがあるのなら、それだけでもう一つの収穫ではないか。 過去があって今があることを。過去がなければ今がないことを、そして未来もないことを。過去を思い返して初めて悦に入ることができるひとときを、彼は常日頃から大切に思っていた。 たまに郷愁に浸り切る夜には、彼はもう何十年も前の日記を読み返してみる。そして夢中になって夢を追いかけたあの日々が追いかけ再生される。気心の知れた仲間とバンドを組み、音楽に全てを懸けて生きていたあの頃。その日々はいったいどれほどの喜怒哀楽に満ち溢れていたことだろう。様々な生活環境や自分自身の心境の変化が否が応でも付き纏い、それでもまだ今もあきらめきれずにいる、遠くかすむ夢のことを想う。追いかけ再生しながら、今もまだ淡く追いかけている夢のことを。 更に何十年か先、もう"老いかける"自分が、それでもなお夢を追いかけていることを願って、彼は追いかけ再生を日々繰り返し、今日も日記を紡ぐのだ。
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