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結局、入籍の野望は果たせぬまま、就活の時期が訪れた。面接まで進むと、俺の名前の由来を面接官は必ず訊いた。両親、取り分け親父の想いが込められていること、それを俺は誇らしく受け止めていること――嘘でも何度も応えていくうちに、俺自身否定的な気持ちは薄れていった。自己暗示だったのかもしれない。
就職した地元の企業では、名前が武器になった。新人にもかかわらず、先輩に付いて挨拶回りをした得意先では、必ず一度で顔と名前を覚えてもらえた。
「羨ましいな、お前」
「そうですか?」
「お前な、営業に取って“先方に覚えてもらえる”ってのは、金棒みたいなもんだぞ」
「金棒、ですか?」
「鬼に金棒、だよ。ま、扱うお前が鬼になれるかどうかは努力次第だがな」
「はぁ……」
「ま、親に感謝するんだな。お前の名前は、チートアイテムだ」
斉藤和夫という特に引っかかりのない名前の先輩は、心から羨ましそうに俺を見た。俺にしてみれば、彼の名前の方が羨ましかったけれど、営業職を続けていくうちに“チートアイテム”の意味を実感するようになった。
30歳を目の前にして、配属されてきた2つ年下の女性と意気投合して、付き合い出した。2年後、同棲を始め、結婚を意識するようになっていたけれど、彼女の姓に変えたいとは思わなくなっていた。いや、むしろ変えるべきではないと理解していた。
「多分、金棒になったんだよなぁ」
「なあに、それ?」
「君も、自分の名前が嫌いだったって言っていただろう?」
タブレットで旅行情報を眺めている彼女の隣で、彼女が淹れたコーヒーを飲む。そろそろ両親に紹介しなければと考えている。同棲していることまでは話してある。でもそれ以上の詳細は、有耶無耶に誤魔化していた。
「うん。両親が出会った思い出の地名を付けたんだって聞かされたけれど、恥ずかしくって、大っ嫌いだった。クラス替えの後の自己紹介は、最悪だったわ」
「あー、分かる分かる」
「結婚するなら、ぜーったい平凡な名字の人にしようって、心に決めていたのよ」
「あははは。それで……俺で、いいの?」
「仕方ないでしょ。好きになっちゃったんだから」
先月、彼女の誕生日に贈ったリングが嵌まっている右手を取って、薬指に口づけた。
「ち、ちょっと、カイト?」
キザだな、と苦笑いしながら、驚いている彼女の唇を塞ぐ。ほんのりと上がる熱が心地良い。同じコーヒーの味がする。
「君のご両親に、ご挨拶させてくれる? 俺の両親にも会って欲しい」
「はい……よろしく、お願いします」
腕の中で頷く彼女が愛しい。
それから2週間の内に、それぞれの家族に挨拶し、更に両家の顔合わせまで進めた。市内のブライダルショップを何軒か回り、式場を決め、結婚に向けてのカウントダウンが始まった。
俺達が駆け足のように式を急いだのは、理由があった。
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