思いがけない真相

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思いがけない真相

 僕が初めて猫森家に着いた日の夜。  猫森家の家族と二人の家庭教師と共に夕食をとった後、男達だけで僕の歓迎会をするからと、僕は万次郎氏の書斎に呼ばれた。  無数の洋書に埋め尽くされた万次郎氏の書斎には、すでに長男の亀彦、次男の鶴彦が来ていて、酒のグラスが四つ並び、皆は僕の来るのを待っていた。 4ae0d649-4b34-4f4e-932a-a49882c8d6d1 「よく来てくれました。君の来る日を我々は心から楽しみにしていたのですよ、令草君。それでは早速、君と僕ら猫森家の新しい歴史が始まることを記念し、乾杯しよう」  万次郎氏が、そう語る隙に、鶴彦が手際よくグラスに酒を注いだ。  僕らは手に手にグラスを掲げ 「乾杯」 とグラスを軽く合わせ酒を飲んだ。  僕はそれまで酒を飲んだことはなく、初めの一口で喉元が心地よく焼ける感触に、何か大人になるための儀式ででもあるかのような緊張と感動を覚えた。  鶴彦は優しく微笑んで僕を見ながら 「何か困ったことがあれば、僕を兄だと思って頼ってくれたまえ。僕も君を、弟だと思って頼りにしたい。だから、君を令草と呼び捨てにしたいのだけれど、構わないかい?」 と言う。  僕はガチガチに緊張して、こう答えた。 「はい。ご厚意をありがたく存じます。僕は東京の暮らしは初めてですし、田舎でもオルガンやピアノを弾いてばかりいて、ろくに人付き合いもして来なかったので世間知らずだと自覚しています。何卒よろしくお願い申し上げます」  長男の亀彦は、少し離れた席に腰掛け黙って僕を見ていた。その時の彼の、何か怯えたような不安そうな瞳が、妙に印象に残っている。  それから万次郎氏はおもむろに、あまりにも意外な恐るべき事件について、深刻な面持ちで語り始めた。 「令草君を我が家に書生として招き入れた表向きの理由は、ピアノの家庭教師である。しかし、本当はもう一つ、娘たちの警護という重要な役割を期待している。それというのも。二年ほど前から東京付近で、ある特別な意味を帯びた傷害事件、殺人事件が相次いでいるのだ。それはピアノを弾く子どもだけを狙った惨たらしい狂気的な事件である。例えばある子どもは、指先だけを切り取られ、またある子どもは片腕を、ある子どもは両腕をもぎ取られ、ある子どもは殺され、ある子どもは行方不明になったままである。こんな事件が続いたため、ピアノを習っていた多くの子どもたちは、ピアノを弾くことをやめてしまい、また狙われたくないとの理由で家からピアノを売り払ったり、恐怖のあまりピアノを庭で焼き払うという話も聞いた。しかしながら、我が家の娘たちは幼い頃からピアノと共に育ってきた。千世は将来、ピアニストになりたいと言って最近ではいくつものコンクールで優勝したり、華族の集まる舞踏会に招待されてピアノ演奏を披露したりしておる。その事は、普通なら非常に喜ばしい幸福なことに違いないのであるが、先に述べたようなピアニストのたまごばかりを狙った事件が続く中では、手放しで喜んではいられないのだ。わかるだろう。つまりだ。そんな事件を引き起こしている恐ろしい犯人から、千世とわかを守ってほしいのだ。それが君の一番重要な役割だと認識していただきたい」  その話を聞き、まず僕は父に騙されたのだと思った。父は、万次郎氏からこの話を聞いて全て知っていて、敢えて僕にはそれを秘密にしていたのだと思った。  ピアニストばかりを狙ったそんな恐ろしい事件が続く東京で、その矢面に立って犯人に対峙する恐怖を味わうなら、さすがの僕も音楽へのこだわりを捨てるだろうと父は目論んだのではなかろうか。  だが、そんな卑劣な犯罪が起きているからと言って、音楽そのものへの僕の情熱は失われたりするものか。  逆に、そんな話を聞くと、そうした卑劣な犯罪に負けず、何としても音楽の道を一筋に突き進みたいと言う反骨精神が沸々と高まるのだった。  鶴彦は涼しい目で遠くを見るように、こう語った。 「この事件は芸術に対する冒瀆だ。西洋文化を侮辱する浅ましい反逆だ。犯人は恐らく、精神的に明治維新を脱却できない武士の残党に違いない。武士道を誤解している狂気の怪人だろう」  それから急に僕を見て鶴彦は 「怖いか? 令草は、犯人に立ち向かう勇気があるかね?」 と真顔で尋ねた。 「怖いです。現実的に、そんな狂人が目の前に現れたら… 僕は武道の心得も腕力もなく、素手で戦って勝てるとは思えません。ただ、お嬢様をお守りするため、音楽の未来のために、僕は何かの方法で犯人に立ち向かいたい気持ちはあります。どんな方法があるのか、すぐには思いつきませんが、あきらめず考え、お嬢様と音楽の自由を守り育てたいと思います。鶴彦さん。僕は、どうすればいいのでしょう。何かよい知恵があれば、お力をお貸し下さい」  僕はもしかすると少し震えていたかも知れない。いや、少しばかりではなく震えて、青ざめていたに違いない。  亀彦が僕を見て、バカにするように 「ふふふふ・・・」 と小さく笑った。  万次郎氏は小声で鶴彦に何か耳打ちした。  鶴彦は本棚の上段から、立派な牛革のブックカバーが掛けられた分厚い本を抜き出した。  よく見ると、それは本ではなく、本に見せかけた箱だった。  鶴彦がその箱を開くと、真っ赤なビロードに埋もれた一丁のピストルが黒光りを放っていた。 「これを君に預けよう。近いうち、警視庁の友人に頼んで練習の機会を与えるから、それまで可愛がって手になじませておくがいい」  万次郎氏は、きれいに整えられた口髭の奥で薄笑いを浮かべ、そう言った。  鶴彦は箱の蓋を静かに閉じると、その箱を僕に手渡した。  拒否できる雰囲気ではなく、僕は魔法にかけられた操り人形のように、それを受け取ると、その箱を膝の上で撫で回していた。  自分のそんな仕草を天上から見つめているような、幻惑でも見ているかのような、妖しさに支配された魔の時間であった。   「さあ、肝心の契約は成立した。後は、気楽に酒を楽しんでくれたまえ」  万次郎氏の、その言葉は僕の胸をいっそう締め付けた。  という言葉の響きは、悪魔に魂を捧げた芸術家の物語を思い出させた。  すると鶴彦は、今までの話に幕を引くように、明るい声で、こんなことを言い出した。 「僕はバイオリンを弾くのですよ。令草、今度、僕の伴奏をしてくれたまえ。そうだ、来週の金曜日に青木伯爵邸で舞踏会がある。僕はそこでファリャのスペイン舞曲を演奏したいのだよ。千世に伴奏させようと思っていたけれど、令草、君、社交界にデビューしたまえ。君なら、きっと気難しい御婦人たちの飽くなき好奇心を満足させてくれることだろう」 「来週の金曜ですか? 僕は、その曲を知りません。弾けるだろうか?」 「大丈夫さ、東京音楽学校に合格する実力を持っているんだ。楽譜は千世が持っているから。明日、借りるがいい。そうだ。父上。令草にスーツを新調してやりましょう。令草にはどことなく秘められた華がある。きっと社交界にデビューさせれば人気者になりますよ」  鶴彦は、そんなことを言って僕に酒を注ぎ足した。 「千世さんは、せっかくの演奏を楽しみにしていたのではないのですか?」  僕は、気になって尋ねた。  すると万次郎氏は落ち着き払った声で、何か商談取り引きでもするような口調で、こう説明した。 「その件に関しては、令草は気にせずともよい。千世とわかには、その日、より重要な役目があるのだ。青木家には将来有望なご子息が4人おられる。この度の舞踏会の一番の目的は、そのご子息たちに相応しいお相手を探すこと。このご子息たちは、誰もが羨むほどの美貌と才能を持ち合わせながら、女性嫌いとの噂が流れるほどのツワモノぞろいでな。千世は、青木家の次男、龍生(りゅうせい)氏に憧れておるようじゃが、何しろまだ16歳。龍生氏は、この春、東京美術学校を卒業し、夏にはパリに遊学するという噂だ。私は、三男の月磨(つきま)氏が、千世には相応しいのではないかと内心狙っておる。月磨氏は、東京音楽学校の3年生で作曲の勉強をしていると聞く。華族会では青木家の御子息を狙う令嬢たちは多く、この数年、言わば超難関の狭き門を狙って激しい争奪戦が繰り広げられておる。彼らの父、青木重五郎氏とは、仕事上の付き合いでよく顔を合わせるのだが、とにかく今年27歳になる長男だけでも早く嫁を選んでくれないものかと頭を悩ませておる。千世はまだ若いが、気丈な娘だ。本人はピアニストになりたい夢を持っているようだが、結婚したからと言ってピアニストになる夢が絶たれるものでもあるまい。令草からも、私のそんな気持ちを、折に触れ、あの子たちに伝えてやってくれたまえ」
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