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プロローグ
僕の名は団令草。
明治36年札幌市生まれ。
父は裁判所の検事をしており、僕は幼い頃から父に、父と同じ仕事に就くように期待されながら育った。
けれども僕は、中学へ入った頃から東京音楽学校に進学したいと憧れを抱き始めた。
母が敬虔なクリスチャンで、物心ついた頃から母といっしょに日曜礼拝に通っていた僕は、教会で聴くオルガンの音色に魅了され、幼稚園時代の後半には、母に懇願してオルガンを習い始めた。
教会でオルガンを教えてくれた神父様はポルトガル出身の宣教師で、オルガンの他にもバイオリンやクラリネットなど数種類の楽器を演奏した。
僕は家で練習できるようにオルガンを買ってもらい、夜遅くなると近所迷惑になるというので、幼稚園や学校から帰ってくると夕方まで、近所の子どもと遊びもせずオルガンの練習に夢中になっていた。
その甲斐あって、中学に入った頃には日曜礼拝の際に教会のオルガニストとして演奏させてもらえるまでに上達した。
けれども父はあくまでも僕に法律を学ばせることを決めてかかっていた。
東京帝国大学の法学部で学び、父と同じ裁判所に勤務して未来の北海道の治安を正しく守る人間になることだけが、僕に許された進学の道であるかのように幾度となく諭された。
小学生の頃は、いずれ大きくなれば、そんな気持ちになるかもしれないと漠然と思い込んでいたけれど、大きくなればなるほど、音楽への憧れは強くなるばかりだった。
頑なに法律への道を押し付けようとする父とは話し合いも成立せず、僕は中学を卒業したら家出をして働きながらでも音楽の道に進みたい、と思い悩むようになった。
ところが、中学5年の秋だった。
ある夜、父の書斎に呼び出された。
「おまえはどうしても音楽をあきらめないつもりか?」
父がそんなことを聞いてきた。
「はい。僕は一生、音楽をやりたいと心に決めています」
「実はな。私の大切な友人である猫森万次郎氏が、東京音楽学校でピアノを学ぶ学生であること、という条件で書生を募集している。猫森氏の娘さんにピアノを教えることができる書生を探しているというのだ。もし、おまえがそこの書生になっても良いというなら、とりあえず東京音楽学校へ通わせてやってもよい。猫森君は私の命の恩人なのだ。彼の助けがなければ今の私はなかった。どうだ?彼の邸宅に住み込んで書生を務めてみないか?その条件を飲むなら、東京音楽大学の受験を認めよう。思う存分、音楽を学んでみたまえ。そうすることで、むしろ法律を学ぶ気になるかも知れない。人生は長い。おまえの音楽に対する情熱が本物かどうか、おまえにとって音楽は一生を捧げる価値のあるものなのか、自分で見極めてみなさい。その猶予期間として、猫森宅で働きながら大学に通い、様々な人間の生きざまを見ながら世界を、世間を、学んでみないか?」
「ありがとうございます。東京音楽大学でピアノを学ぶことができるなら、どんな仕事でも致します」
僕はただもう音楽をやれることが嬉しくて、その場で、父の提案を受け入れた。
以降、睡眠を削って勉強し、当時札幌に数台しかなかったグランドピアノを持っている医者宅でピアノを借りて練習させてもらい、翌年の春には、無事東京音楽大学に通えることとなった。
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