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母親に「行ってきます」と告げて家を出た時から、篠崎美羽はお腹が痛かった。
両手をお腹にあて、中学の通学路から外れ人の目を盗むように右の道を進む。
その先には小さな公園がある。美羽が公園に行くのはいつぶりだろうか。小学校に上がる前には、母親に連れられてよくここに来ていた。公園には小さな砂場と、鉄棒二つ、キリンを模した滑り台は、胴体部分にブランコもついている。
公園に着き、美羽はブランコに座った。昔は足が届かなかったブランコは、今は低すぎてちょうどお腹を抱えこむ格好にピッタリだった。
公園の時計は8時15分を指している。今歩き出さないと遅刻になる。なのに、歩き出せない。
膝小僧におでこをくっつけて、お腹の痛みを我慢しながら、腹痛の原因となった出来事を美羽は反芻した。
──それは昨日の五時間目。
美術の授業でポスター制作をしていた時だった。美羽は昔から絵を描くのが好きで、この時も鳥の羽根をモチーフにしたイラストを熱心に描いていた。軽い羽根をイメージして、白い羽根でも水色を影に入れたり、光の部分にはピンクを入れてみたり。作業に夢中のあまり、終了チャイムが鳴ったことも気付かなかった。
「篠崎……篠崎!」
突然名前を呼ばれ、美羽はビクッと体を震わせた。顔を上げると、起立したクラスメイトが全員美羽を見ている。
「あ……す、すいません……」
急いで立ち上がろうとしたのがいけなかった。手を机に着いた拍子に、パレットに置いていた絵筆がバネのように飛んだ。
「あっ!」と数名が叫ぶ。美羽の筆はクルクルと回転し、隣の席の加藤大介のワイシャツに当たって床に落ちた。
「やっべー大介! 命中してんじゃん!」
「ウケるー。服汚ねー!」
男子達が手を叩いて笑う。
シャツを引っ張りながら、脇腹に出来たまだら模様のシミを加藤大介が確認する。声こそ出ていないが、感情の読めない目は、まるで「勘弁してくれよ」と言っている様だった。
授業終了の挨拶の後、すぐに「ごめんなさい」と美羽は濡らしたハンカチを渡した。周りに集まった生徒たちはニヤニヤと笑いながら、仏頂面でハンカチを受け取る大介を見ている。
せめてこれが、仲の良い彩音だったり、委員長の池田だったら、美羽もここまで萎縮しなかった。クラスの中で極力目立たないようにしていた美羽にとって、男女問わずクラスメイトに囲まれる大介は真反対の存在だ。それゆえ大介の服のシミはいつまでも生徒たちの話題になり、帰りのSHRでは担任までも「シャツのシミ、ちゃんと落とせよ」と茶化してきた。
美羽はずっと俯いていた。女子の何人かは大介に「かわいそう」と言っているのも聞こえたし、美羽に対してもニヤニヤ笑ってくる男子がいたからだ。
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